思えばわたしが初めてヅカオチしたのがかの昭和のベルサイユのばらだった。
あの頃は子供だったこともあり、マリー・アントワネットってあんな人だったんだ納得、完結していましたっけ。
初風さんを生で観て、上原さんや高宮さんは映像で観て、少しずつ違うけれど「アントワネットはあんな人」。
月日が流れて、まさかのベルばら再演時、昭和よりずっと洗練され豪華になったわっかのドレスを身につけたアントワネット役さんたちを観たとき。
○○さんてわっかのドレスを着ても綺麗ね。
それが素直な感想だった。
○○さんには多くのアントワネット役者が入る。「綺麗ね」の度合いはさして差はなかった。
でも絶対指定だったのが「〜を着て」の部分。
そこに「アントワネット様」はいない。
コスチュームものの舞台でヒロインを演じて、それまでも彼女の役柄とは異なる美しさを堪能しているのだけれど、
「わっかのドレス」はあくまで衣装。
「美しい衣装を着て美しい夢を見させてくれる○○さん」をそれぞれ愛していたのだ。
間違っても「アントワネット様」を愛でていたわけじゃない。
と書くと「初演の刷り込み」と思われるだろうが、ここで敢えて書いているのは
あすかちゃん@マルグリットには「わっかのドレスのあすかちゃん」を感じなかったということ。
正直に書いてしまうと、ポスターのときは思った。
あすかちゃんコスチュームものイケるじゃない。
アントワネット様のような「女王様」は感じなかったが、コスチュームに負けない華と押し出しの強さを感じてそれだけで舌を巻いた。
「わっかのドレスのあすかちゃん」も面白そう。ベルばらの二番煎じではなく、別のコスチュームものを楽しませてくれるに違いない。
そう思って席についたわたし。
幕が上がったとたん連れて行かれた。
そこにいるのは18世紀の世界に生きている美しい女性マルグリット。
彼女が生き、呼吸しているのはロココの夢さめやらぬ華やかな貴族の館。
貴族の奥方だからマルグリットはわっかのドレスに袖を通す。
大仰な髪型や豪華なアクセサリーはドレスとの調和をはかるもの。
当たり前に着替えて当たり前に身につける、それがわっかのドレスたち。
マルグリットが生きている。
ポスターでおなじみの深いワインレッドに始まり、結婚式ではまばゆい白、マリーたち若い令嬢たちと集うときは「自宅」でくつろぐ優しい色使い。
それらはごく自然に「物語」と共に様変わりする。
マルグリットだからこの衣服。
衣装が消える。
<遠野あすかがわっかのドレスを着ている>は見事に気配を見せなかった。
すごいよ、あすかちゃん。
あなたはやっぱり女優だ。
舞台でその人物として生きている。
その人物が呼吸をして感情が動くからその言葉が出る。
その人物だからその衣服を着る。
決してコスチュームものを演じているとは思わせない。
銀橋のほぼ中央に立ったあなたをわたしは至近距離で見ました。
そこにいるのは
自分にもっとも似合うドレスを纏った誇り高い女マルグリット。愛に生き、女としての誇りに生きた人。
遠野あすか。
あなたが舞台人の道を選んでくれたことをわたしは誰かに感謝せずにはいられない。
あの頃は子供だったこともあり、マリー・アントワネットってあんな人だったんだ納得、完結していましたっけ。
初風さんを生で観て、上原さんや高宮さんは映像で観て、少しずつ違うけれど「アントワネットはあんな人」。
月日が流れて、まさかのベルばら再演時、昭和よりずっと洗練され豪華になったわっかのドレスを身につけたアントワネット役さんたちを観たとき。
○○さんてわっかのドレスを着ても綺麗ね。
それが素直な感想だった。
○○さんには多くのアントワネット役者が入る。「綺麗ね」の度合いはさして差はなかった。
でも絶対指定だったのが「〜を着て」の部分。
そこに「アントワネット様」はいない。
コスチュームものの舞台でヒロインを演じて、それまでも彼女の役柄とは異なる美しさを堪能しているのだけれど、
「わっかのドレス」はあくまで衣装。
「美しい衣装を着て美しい夢を見させてくれる○○さん」をそれぞれ愛していたのだ。
間違っても「アントワネット様」を愛でていたわけじゃない。
と書くと「初演の刷り込み」と思われるだろうが、ここで敢えて書いているのは
あすかちゃん@マルグリットには「わっかのドレスのあすかちゃん」を感じなかったということ。
正直に書いてしまうと、ポスターのときは思った。
あすかちゃんコスチュームものイケるじゃない。
アントワネット様のような「女王様」は感じなかったが、コスチュームに負けない華と押し出しの強さを感じてそれだけで舌を巻いた。
「わっかのドレスのあすかちゃん」も面白そう。ベルばらの二番煎じではなく、別のコスチュームものを楽しませてくれるに違いない。
そう思って席についたわたし。
幕が上がったとたん連れて行かれた。
そこにいるのは18世紀の世界に生きている美しい女性マルグリット。
彼女が生き、呼吸しているのはロココの夢さめやらぬ華やかな貴族の館。
貴族の奥方だからマルグリットはわっかのドレスに袖を通す。
大仰な髪型や豪華なアクセサリーはドレスとの調和をはかるもの。
当たり前に着替えて当たり前に身につける、それがわっかのドレスたち。
マルグリットが生きている。
ポスターでおなじみの深いワインレッドに始まり、結婚式ではまばゆい白、マリーたち若い令嬢たちと集うときは「自宅」でくつろぐ優しい色使い。
それらはごく自然に「物語」と共に様変わりする。
マルグリットだからこの衣服。
衣装が消える。
<遠野あすかがわっかのドレスを着ている>は見事に気配を見せなかった。
すごいよ、あすかちゃん。
あなたはやっぱり女優だ。
舞台でその人物として生きている。
その人物が呼吸をして感情が動くからその言葉が出る。
その人物だからその衣服を着る。
決してコスチュームものを演じているとは思わせない。
銀橋のほぼ中央に立ったあなたをわたしは至近距離で見ました。
そこにいるのは
自分にもっとも似合うドレスを纏った誇り高い女マルグリット。愛に生き、女としての誇りに生きた人。
遠野あすか。
あなたが舞台人の道を選んでくれたことをわたしは誰かに感謝せずにはいられない。
母と娘と父と父 ファン・ジニ第16回「愛の調べ」
2008年7月20日 韓国王朝ドラマの世界http://www3.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny/yotei/story_16.html
チニの愛をキム・ジョンハン様はようやく受け止めてくれましたね。
たとえ後朝の朝ひとり置いて立ち去ってしまったとしても、
「そなたを愛している」
と真心を見せてくれた。
この先2人に待つ運命が茨の道だとしても、生まれて初めて自分から求めて愛した人の答え。
彼が出した真実はチニをより強くしてくれると思います。
というのが一番の感想にしたいところなのだけど、
ごめんなさいと謝っておこう。
誰にでもないのだけど。
ヒョングムとチニの実父との邂逅場面は光が眩しすぎて正視ができませんでした。
視力を失ったヒョングムが放つ愛する人への思い、それは強烈なパワーとなって彼をそしてチニを苦しめます。
ヒョングムがいつまでも少女のようなあどけなさを失くさないのは愛する人への深い思いと、
彼女を傷つけまいと全身全霊をかけて守り抜いているオムスの大きな広い胸があるからこそ。
オムスの凄さとは、ヒョングムに後ろめたさを感じさせずに愛していること。
少女のままの感性だからこそそうあるのか、気づきながら「少女性」で覆っているのか。
おそらく後者だと思いますが、それはきっとどこかで答えが待っているのでしょう。
静かに水をたたえ、水面に太陽の光を反射することで佇む人の心を癒し力を与える湖のような人。
誰よりも静かで大きな愛を知る人。
オムスこそチニの父と言えましょう。
そして人生の師でもある。
キム・ジョンハンへの思いを断ち切れと「娘」に語りかける「父」に、チニは返す言葉を探す。
ごめんなさい、お父さん。
と言ったわけでないけれど、チニはやはりキム・ジョンハンを追ってしまう。
そんな「娘」を「父」はこれからも大きく包み見守っていくのでしょう。
それが愛する人の望みだと知っているから。
ムミョンは兄のように、オムスは父のように。
チニの周りには本当の家族以上に、彼女を守ろうとする人々がいるのです。
チニの愛をキム・ジョンハン様はようやく受け止めてくれましたね。
たとえ後朝の朝ひとり置いて立ち去ってしまったとしても、
「そなたを愛している」
と真心を見せてくれた。
この先2人に待つ運命が茨の道だとしても、生まれて初めて自分から求めて愛した人の答え。
彼が出した真実はチニをより強くしてくれると思います。
というのが一番の感想にしたいところなのだけど、
ごめんなさいと謝っておこう。
誰にでもないのだけど。
ヒョングムとチニの実父との邂逅場面は光が眩しすぎて正視ができませんでした。
視力を失ったヒョングムが放つ愛する人への思い、それは強烈なパワーとなって彼をそしてチニを苦しめます。
ヒョングムがいつまでも少女のようなあどけなさを失くさないのは愛する人への深い思いと、
彼女を傷つけまいと全身全霊をかけて守り抜いているオムスの大きな広い胸があるからこそ。
オムスの凄さとは、ヒョングムに後ろめたさを感じさせずに愛していること。
少女のままの感性だからこそそうあるのか、気づきながら「少女性」で覆っているのか。
おそらく後者だと思いますが、それはきっとどこかで答えが待っているのでしょう。
静かに水をたたえ、水面に太陽の光を反射することで佇む人の心を癒し力を与える湖のような人。
誰よりも静かで大きな愛を知る人。
オムスこそチニの父と言えましょう。
そして人生の師でもある。
キム・ジョンハンへの思いを断ち切れと「娘」に語りかける「父」に、チニは返す言葉を探す。
ごめんなさい、お父さん。
と言ったわけでないけれど、チニはやはりキム・ジョンハンを追ってしまう。
そんな「娘」を「父」はこれからも大きく包み見守っていくのでしょう。
それが愛する人の望みだと知っているから。
ムミョンは兄のように、オムスは父のように。
チニの周りには本当の家族以上に、彼女を守ろうとする人々がいるのです。
チケットものがたり 花組ドラマシティ公演「銀ちゃんの恋」
2008年7月18日 SORAの世界〜チケット〜劇場ではない友の会の抽選結果照会ドラマシティ銀ちゃん。
見事大ハズレ。
わーんわーんうわーーん。
わたしも知人も知人も知人も…あっちこっちで外れたメールが飛び交いました。
今となっては初日大当たりですっごーく良いお席(劇場のネット会員抽選分)やクレジットカード会社で取れたのは本当に幸運だったのだ。
それにしても、わたしの友の会カードは小劇場・中劇場系に弱い。バウホールや青年館は当たったのは過去に一度だけ。
大劇場クラス(東西や梅芸や全国ツアーの大きい会場)には強いときは相当強い。
どちらかというと臨場感ぎゅーと濃縮の中劇場以下の箱が好きなタイプです…。
いや、チケットは天下のまわりもの。
いざとなったらどうにでもなる。
千秋楽などなど難しい日じゃなければどうにでもなる時代。
グダグダしてるのは「くじ」に外れるのは何だって悔しいということ
見事大ハズレ。
わーんわーんうわーーん。
わたしも知人も知人も知人も…あっちこっちで外れたメールが飛び交いました。
今となっては初日大当たりですっごーく良いお席(劇場のネット会員抽選分)やクレジットカード会社で取れたのは本当に幸運だったのだ。
それにしても、わたしの友の会カードは小劇場・中劇場系に弱い。バウホールや青年館は当たったのは過去に一度だけ。
大劇場クラス(東西や梅芸や全国ツアーの大きい会場)には強いときは相当強い。
どちらかというと臨場感ぎゅーと濃縮の中劇場以下の箱が好きなタイプです…。
いや、チケットは天下のまわりもの。
いざとなったらどうにでもなる。
千秋楽などなど難しい日じゃなければどうにでもなる時代。
グダグダしてるのは「くじ」に外れるのは何だって悔しいということ
負けるな、監督七帆くん 宙組公演「雨に唄えば」6
2008年7月16日 SORAの世界〜観劇〜ドン、コズモ、リナがひたすら綺麗で蒸留水みたいなトライアングルを造っている世界で、ひとり別世界格闘している若者を発見。
もじゃもじゃリーゼントに親父めがね、腰が引けてて膝伸びていないまさしくオヤジ姿のその人は
「宙組の未来をその立派な背中にしょって立つ」二枚目
七帆ひかる@ロスコー・デクスター。
………。
このキャスティング好きーーーーーーっ!
面白い。面白すぎます、七帆ひかる監督。
誰ですか考えたの。
長身で美形で背中が立派でクールな美貌の七帆ひかるにオヤジ役をさせる、
その狙いがどこにあるのか一度ゆっくりグラス片手に語って欲しいです。
演出家ですか?宙組プロデューサーさん?
どなたでもいいから私に感謝の薔薇の花束を贈らせてください。
それぐらい七帆ひかるデクスターのヘタレ親父ぶりはツボに入りました。
見事な美貌を潔く封印して捨て身の覚悟でぶつかっているであろう七帆くんの体当たりぶりが爽快です。
涙を誘われます。申し訳ないけれどおかしいです。
フィナーレでようやく美貌の男役ぶりを取り戻してくれたときはほっとしたのもまた事実だけど、一種の儲け役を実に楽しそうに演じています。
怪獣リナちゃんを宥めてすかしておだててあやして何とか撮影を敢行しようと四苦八苦、見事玉砕して終わる撮影シーンは最後全部七帆くんが持って行きました。
でもここの演出は古臭い。
オーソドックスといえば聞こえがいいけれど使い古されたトムとジェリー的古典手法。
変に老けが上手い人が上手にやってしまうのもありだけど、
七帆くんは本当に舞台が好きなのね、それが撮影を続行させようと右往左往するデクスターとオーバーラップして実に健気。
古臭かろうがオチが読めようがそういう次元で語ったら自分が悲しくなるようなまっすぐさがいい。
今しかできないであろう七帆くんの健気なデクスター、わたしは一生忘れないと思います。
リナちゃんに振り回され宇宙の果てまで飛ばされそうよね。
それでも、ヘロヘロになりながら地球に戻ってきて、
「も、も一回やってみようか?」
再挑戦するに決まってる七帆くんデクスターは限りなく愛しいのです。
もじゃもじゃリーゼントに親父めがね、腰が引けてて膝伸びていないまさしくオヤジ姿のその人は
「宙組の未来をその立派な背中にしょって立つ」二枚目
七帆ひかる@ロスコー・デクスター。
………。
このキャスティング好きーーーーーーっ!
面白い。面白すぎます、七帆ひかる監督。
誰ですか考えたの。
長身で美形で背中が立派でクールな美貌の七帆ひかるにオヤジ役をさせる、
その狙いがどこにあるのか一度ゆっくりグラス片手に語って欲しいです。
演出家ですか?宙組プロデューサーさん?
どなたでもいいから私に感謝の薔薇の花束を贈らせてください。
それぐらい七帆ひかるデクスターのヘタレ親父ぶりはツボに入りました。
見事な美貌を潔く封印して捨て身の覚悟でぶつかっているであろう七帆くんの体当たりぶりが爽快です。
涙を誘われます。申し訳ないけれどおかしいです。
フィナーレでようやく美貌の男役ぶりを取り戻してくれたときはほっとしたのもまた事実だけど、一種の儲け役を実に楽しそうに演じています。
怪獣リナちゃんを宥めてすかしておだててあやして何とか撮影を敢行しようと四苦八苦、見事玉砕して終わる撮影シーンは最後全部七帆くんが持って行きました。
でもここの演出は古臭い。
オーソドックスといえば聞こえがいいけれど使い古されたトムとジェリー的古典手法。
変に老けが上手い人が上手にやってしまうのもありだけど、
七帆くんは本当に舞台が好きなのね、それが撮影を続行させようと右往左往するデクスターとオーバーラップして実に健気。
古臭かろうがオチが読めようがそういう次元で語ったら自分が悲しくなるようなまっすぐさがいい。
今しかできないであろう七帆くんの健気なデクスター、わたしは一生忘れないと思います。
リナちゃんに振り回され宇宙の果てまで飛ばされそうよね。
それでも、ヘロヘロになりながら地球に戻ってきて、
「も、も一回やってみようか?」
再挑戦するに決まってる七帆くんデクスターは限りなく愛しいのです。
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影のない世界が広がる 宙組公演「雨に唄えば」5
2008年7月16日 SORAの世界〜チケット〜辛口の感想を素直に書いてきたが、決して失敗作だとは思っていない。
宙組梅田芸術劇場公演「雨に唄えば」。
星組版を見たとき、どうしようもなく目立ってしょうがないタニちゃんコズモに違和感ばかり覚えたわたしは、
ようやくあるべきところにいるタニちゃんドン・ロックウッドにほっと胸をなでおろしたし、
育ちのいいお坊ちゃま仲間に見えるラントム・コズモも愛でている。
ボードヴィルからたたき上げた苦労人に見えないのはもうどうしようもないとして、
大和・蘭寿の並びのゴージャスさ、そこへ男に戻ったみっちゃんが加わったときの快感は忘れられない。
やっぱり宙組は背の高い美形たちの組だ。
ルックスの平均点はかなり高いと思う。
贅沢な至福の並びに「宝塚を観に来てよかったー」と涙が出るほど嬉しかった。
3スターはそれぞれ個性も強くて並んだときどうなるのか想像もつかなかったのが見る前の正直な気持ち。
濃かったり熱かったり可愛かったりする二番手三番手をタニちゃんがどう抑え込んでいるか手に汗握って待ってたフィナーレのそのとき。
タニちゃんは鮮やかにラントム&みっちゃんを従えていました。
2人の強烈なカラーを見事に白いキラキラパワーでおさえこんで。
さっきまで「フッ」だの「ハッ」だのラントム以下宙組イケメン男役たちがくさーい魅力で踊りまくってどうしようもないほど濃く濃く濃ーく染め上げていた空気がタニちゃんがセンターに立つと同時に脱色されたように無色透明に科学変化を起こす。
そこへ降ってくるの天井から。
なんだか知らないけどキラキラした金の粉が。
あれ?雨はもうやんだはずよね?
目の錯覚。目の錯覚ですもちろん。
でもわたしはっきり見ましたよ。
タニちゃんの頭上に白いというか金というか宝石の粉みたいなものが舞っているのが。
何ですか、あれ。キラキラ笑顔でウィンクバチンのタニちゃんが何かするたびに彼が従えている宙組イケメンさんたちを覆うように輝く金の粉が飛び交うの。
これって…タニちゃん何か降らしてる?
まるで大和さんが妖怪みたいに聞こえるからもうこのへんでやめておきますが。
たしかに「彼」には「闇」や「毒」や「影」は感じない。世の中にあるものすべてにはそれがあるし、「影」がない物体は不自然だ。タニちゃんの魅力の複雑さがそこにあると思う。
だけど彼女は代わりになるもの「武器」を持っている。
だからセンターにいる。
濃くて熱い二番手三番手を従えて許されるんだ。
幕が下りるその瞬間までタニちゃんはキラキラオーラに包まれそれが舞台上を覆っていた。
こんな舞台は他の組ではありえない。
不思議な不思議な魅力に溢れた世界。それが今の宙組だとわたしは思う。
宙組梅田芸術劇場公演「雨に唄えば」。
星組版を見たとき、どうしようもなく目立ってしょうがないタニちゃんコズモに違和感ばかり覚えたわたしは、
ようやくあるべきところにいるタニちゃんドン・ロックウッドにほっと胸をなでおろしたし、
育ちのいいお坊ちゃま仲間に見えるラントム・コズモも愛でている。
ボードヴィルからたたき上げた苦労人に見えないのはもうどうしようもないとして、
大和・蘭寿の並びのゴージャスさ、そこへ男に戻ったみっちゃんが加わったときの快感は忘れられない。
やっぱり宙組は背の高い美形たちの組だ。
ルックスの平均点はかなり高いと思う。
贅沢な至福の並びに「宝塚を観に来てよかったー」と涙が出るほど嬉しかった。
3スターはそれぞれ個性も強くて並んだときどうなるのか想像もつかなかったのが見る前の正直な気持ち。
濃かったり熱かったり可愛かったりする二番手三番手をタニちゃんがどう抑え込んでいるか手に汗握って待ってたフィナーレのそのとき。
タニちゃんは鮮やかにラントム&みっちゃんを従えていました。
2人の強烈なカラーを見事に白いキラキラパワーでおさえこんで。
さっきまで「フッ」だの「ハッ」だのラントム以下宙組イケメン男役たちがくさーい魅力で踊りまくってどうしようもないほど濃く濃く濃ーく染め上げていた空気がタニちゃんがセンターに立つと同時に脱色されたように無色透明に科学変化を起こす。
そこへ降ってくるの天井から。
なんだか知らないけどキラキラした金の粉が。
あれ?雨はもうやんだはずよね?
目の錯覚。目の錯覚ですもちろん。
でもわたしはっきり見ましたよ。
タニちゃんの頭上に白いというか金というか宝石の粉みたいなものが舞っているのが。
何ですか、あれ。キラキラ笑顔でウィンクバチンのタニちゃんが何かするたびに彼が従えている宙組イケメンさんたちを覆うように輝く金の粉が飛び交うの。
これって…タニちゃん何か降らしてる?
まるで大和さんが妖怪みたいに聞こえるからもうこのへんでやめておきますが。
たしかに「彼」には「闇」や「毒」や「影」は感じない。世の中にあるものすべてにはそれがあるし、「影」がない物体は不自然だ。タニちゃんの魅力の複雑さがそこにあると思う。
だけど彼女は代わりになるもの「武器」を持っている。
だからセンターにいる。
濃くて熱い二番手三番手を従えて許されるんだ。
幕が下りるその瞬間までタニちゃんはキラキラオーラに包まれそれが舞台上を覆っていた。
こんな舞台は他の組ではありえない。
不思議な不思議な魅力に溢れた世界。それが今の宙組だとわたしは思う。
星組大劇場公演「スカーレット・ピンパーネル」を一階の最前列で観ることができた。
観る前に、初日観劇以来すっかりはまった友人から「あともう一回増やして。二階から観る<景色>は絶対見る価値があるから」といういメールをもらっていたので、けっこう悩みました。
幕が上がったとたん、引きずり込まれてしまった世界。
何でしょうこの上品で美しい世界は。
幕開きからわたしは途方に暮れました。
これまで見たことのない上品な色使いの世界がそこに広がっていて、
そこに生きている人々の物語が本当に楽しくて、
一挙に引きずり込まれてしまったから。
あまりにも楽しいと戸惑うことがあるんですね。
挙句にもっと綺麗な世界が待っているから二階へGOって!
どうにもこうにも時間が取れなくて、わたしの観劇はこの一回こっきりに終わってしまって今でも本当に残念です。
さあ何がどう「楽しかった」かというと、
パーシー&マルグリット&ショーブランのもつれ合いのややこしさと単純さが交互に見え隠れして楽しい。
ずばり三角関係にいる3人はそれぞれ「過去と現在」が面白いほど交錯します。
「愛」と「使命」がもつれ合う人間模様は複雑であり同時に単純、複雑な理由は言わずとしれた「追う者」と「負われる者」そして「互いを信じきれない」関係であって、
単純この上ないというのは、パーシーとマルグリットが愛し合っているという事実。
ショーブランは2人の愛の前にはコキュでしかありえない。
かつて愛した女にすっかり愛想をつかされた情けない存在。
でもショーブランの目には「惨敗」は映っておらずマルグリットも自分たちの「勝利」に気づいていない。
そこが切ない。愛し合っているという紛れもない事実に翻弄されているパーシーとマルグリット。
そーゆーややこしくもシンプルな関係がずっとロンドを繰りかえしそれにあわせてスカピン団や娘たちが華麗なダンスを繰り広げる見た目にもそして耳にも心地よい、極上の物語。
楽しいぞ。
嬉しいぞ。
そして妬ましいぞ。
花組のあの舞台、なんとかならなかったのでしょうか…色と脚本。
今更ながらがっくり。
個人的には超楽しい公演である「愛と死のアラビア」「Red Hot Sea」も、
「スカーレット・ピンパーネル」のウエルメイドな完成を見てしまうといいなーいいなー、正直なため息が抑えられません。
次の作品がその、もう少し、まし、でありますように。
わがご贔屓組を愛するがゆえの愚痴とここで正直に書いてしまいました。
脚本、音楽、セット、衣装、演出、どれを取っても上質で「極上の」という形容詞がこれほどふさわしい宝塚作品はそうあるものじゃありません。
そしてトウコちゃんの緩急自在の存在ぶりに脱帽。
この人は舞台の上にいるときが一番楽に呼吸できるんじゃないだろうか?
生身のレディに失礼かもしれませんが、あまりにも「自由自在に」舞台の上を歩き回り、飛び跳ねているのでそんな錯覚に陥ってしまうのです。
「男役さんとして魅力的」というのはしごく当たり前の話で、それとは別に「舞台人度」の凄さに舌を巻いた。
決して大柄でなくもう折れちゃいそうに細いトウコちゃんが懐かしのアニメ、バーバ・パパのように、
巨大になったり瞬時に小さくなったりびよーんと伸びたりするの。
パーシーの存在感のことです。
舞台空間に占める割合のことと言ったらわかりやすいか。
そしてその「自由自在なトウコちゃん」には「どこからでもかかって来なさい」なあすかちゃんというものすごい相手役がいて。
相変わらずハイレベルなキャッチボールを見せてくれるゴージャスコンビに、
「大作の誉れ」も高い作品は面白いほど軽快に展開しておりました。
あ〜あ。やっぱりトウアスはすごいや。
「赤と黒」でも完敗しましたけど、この2人何やらせても期待以上にやってのけますね。
バックグラウンドではものすごく努力を積み重ねているだろうけれど、
結果はおみごと。あっぱれのひとこと。
そして今回、ちえちゃんも大躍進を遂げたと思います。
黒の魅力がよかったですよ、ショーブラン!
トウアス・コンビと互角のトライアングルを形成していて、力みがないのが気持ちいい。
「赤と黒」ではまだまだ、お兄さんとお姉さんにひっぱってもらっていた感もあったけれど、今回は余裕でまかせてという感じ。
ちえちゃんショーブランがパーシー、マルグリットと互角に渡り合っているのが勝因のひとつと言っても過言ではない。
三人の「主人公たち」を中心に、舞台は鮮やかに、かろやかに回転を繰り返し観客を引きずりこんで行く。
あきれるほど見事な星組「スカーレット・ピンパーネル」。
同じような「力」を花組も持つ、とわたしは信じているけれど。
でも、今は素直に星組さんに拍手をおくりたい。
願うことならばもう一度観てみたい。星組「スカーレット・ピンパーネル」。
観る前に、初日観劇以来すっかりはまった友人から「あともう一回増やして。二階から観る<景色>は絶対見る価値があるから」といういメールをもらっていたので、けっこう悩みました。
幕が上がったとたん、引きずり込まれてしまった世界。
何でしょうこの上品で美しい世界は。
幕開きからわたしは途方に暮れました。
これまで見たことのない上品な色使いの世界がそこに広がっていて、
そこに生きている人々の物語が本当に楽しくて、
一挙に引きずり込まれてしまったから。
あまりにも楽しいと戸惑うことがあるんですね。
挙句にもっと綺麗な世界が待っているから二階へGOって!
どうにもこうにも時間が取れなくて、わたしの観劇はこの一回こっきりに終わってしまって今でも本当に残念です。
さあ何がどう「楽しかった」かというと、
パーシー&マルグリット&ショーブランのもつれ合いのややこしさと単純さが交互に見え隠れして楽しい。
ずばり三角関係にいる3人はそれぞれ「過去と現在」が面白いほど交錯します。
「愛」と「使命」がもつれ合う人間模様は複雑であり同時に単純、複雑な理由は言わずとしれた「追う者」と「負われる者」そして「互いを信じきれない」関係であって、
単純この上ないというのは、パーシーとマルグリットが愛し合っているという事実。
ショーブランは2人の愛の前にはコキュでしかありえない。
かつて愛した女にすっかり愛想をつかされた情けない存在。
でもショーブランの目には「惨敗」は映っておらずマルグリットも自分たちの「勝利」に気づいていない。
そこが切ない。愛し合っているという紛れもない事実に翻弄されているパーシーとマルグリット。
そーゆーややこしくもシンプルな関係がずっとロンドを繰りかえしそれにあわせてスカピン団や娘たちが華麗なダンスを繰り広げる見た目にもそして耳にも心地よい、極上の物語。
楽しいぞ。
嬉しいぞ。
そして妬ましいぞ。
花組のあの舞台、なんとかならなかったのでしょうか…色と脚本。
今更ながらがっくり。
個人的には超楽しい公演である「愛と死のアラビア」「Red Hot Sea」も、
「スカーレット・ピンパーネル」のウエルメイドな完成を見てしまうといいなーいいなー、正直なため息が抑えられません。
次の作品がその、もう少し、まし、でありますように。
わがご贔屓組を愛するがゆえの愚痴とここで正直に書いてしまいました。
脚本、音楽、セット、衣装、演出、どれを取っても上質で「極上の」という形容詞がこれほどふさわしい宝塚作品はそうあるものじゃありません。
そしてトウコちゃんの緩急自在の存在ぶりに脱帽。
この人は舞台の上にいるときが一番楽に呼吸できるんじゃないだろうか?
生身のレディに失礼かもしれませんが、あまりにも「自由自在に」舞台の上を歩き回り、飛び跳ねているのでそんな錯覚に陥ってしまうのです。
「男役さんとして魅力的」というのはしごく当たり前の話で、それとは別に「舞台人度」の凄さに舌を巻いた。
決して大柄でなくもう折れちゃいそうに細いトウコちゃんが懐かしのアニメ、バーバ・パパのように、
巨大になったり瞬時に小さくなったりびよーんと伸びたりするの。
パーシーの存在感のことです。
舞台空間に占める割合のことと言ったらわかりやすいか。
そしてその「自由自在なトウコちゃん」には「どこからでもかかって来なさい」なあすかちゃんというものすごい相手役がいて。
相変わらずハイレベルなキャッチボールを見せてくれるゴージャスコンビに、
「大作の誉れ」も高い作品は面白いほど軽快に展開しておりました。
あ〜あ。やっぱりトウアスはすごいや。
「赤と黒」でも完敗しましたけど、この2人何やらせても期待以上にやってのけますね。
バックグラウンドではものすごく努力を積み重ねているだろうけれど、
結果はおみごと。あっぱれのひとこと。
そして今回、ちえちゃんも大躍進を遂げたと思います。
黒の魅力がよかったですよ、ショーブラン!
トウアス・コンビと互角のトライアングルを形成していて、力みがないのが気持ちいい。
「赤と黒」ではまだまだ、お兄さんとお姉さんにひっぱってもらっていた感もあったけれど、今回は余裕でまかせてという感じ。
ちえちゃんショーブランがパーシー、マルグリットと互角に渡り合っているのが勝因のひとつと言っても過言ではない。
三人の「主人公たち」を中心に、舞台は鮮やかに、かろやかに回転を繰り返し観客を引きずりこんで行く。
あきれるほど見事な星組「スカーレット・ピンパーネル」。
同じような「力」を花組も持つ、とわたしは信じているけれど。
でも、今は素直に星組さんに拍手をおくりたい。
願うことならばもう一度観てみたい。星組「スカーレット・ピンパーネル」。
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声なき声が悲鳴をあげる ファン・ジニ第15回「渡し舟」
2008年7月13日 韓国王朝ドラマの世界http://www3.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny/yotei/story_15.html
チニの心にようやく根付いたキム・ジョンハンへの恋。
それはまたしてもかなわぬ身分の人への恋だった。
二度と味わいたくないあの思いをどうしてまた繰り返してしまうか…
自分で選んだわけじゃない、ただ目の前にその道が広がっていただけだ。
なぜチニはまた苦しまなくてはならないのか。
と私はチニに感情移入してしまうのだが、
もっと大変なのは彼女を愛するたくさんの男たちなのだろう。
男たちの心が苦しい回だった。
チニという鏡を見つけてしまったために男たちは苦悩する。
チニはただの女ではない。
己の心を映し出す鏡だ。
チニの前では男たちは自らの弱さも愚かさも情けなさも隠せない。
鏡は労わってはくれない。
一緒にいて安らげる、そんな女ではない。
それでも求めてしまう男たちの悲鳴が飛び交う。
そしてもう一組別の悲鳴がこだまする。
メヒャンとプヨンの師弟だ。
「天才とは努力するものをいつも悲しませる」。
メヒャンにはペンムが、プヨンにはチニ。
彼女たちはモーツァルトの天才を見抜いたサリエリだ。
天才を見抜く才能だけ与えてくれた神を彼女たちは呪い続けるだろうか。
いや、サリエリは男だったから。
メヒャンとプヨンは女だ。
神は女を男より確実に強くお創りになったはず。
サリエリになる彼女たちは見たくはない。
ひとりの天才をめぐって男も女も声なき声で悲鳴をあげる。
チニの心にようやく根付いたキム・ジョンハンへの恋。
それはまたしてもかなわぬ身分の人への恋だった。
二度と味わいたくないあの思いをどうしてまた繰り返してしまうか…
自分で選んだわけじゃない、ただ目の前にその道が広がっていただけだ。
なぜチニはまた苦しまなくてはならないのか。
と私はチニに感情移入してしまうのだが、
もっと大変なのは彼女を愛するたくさんの男たちなのだろう。
男たちの心が苦しい回だった。
チニという鏡を見つけてしまったために男たちは苦悩する。
チニはただの女ではない。
己の心を映し出す鏡だ。
チニの前では男たちは自らの弱さも愚かさも情けなさも隠せない。
鏡は労わってはくれない。
一緒にいて安らげる、そんな女ではない。
それでも求めてしまう男たちの悲鳴が飛び交う。
そしてもう一組別の悲鳴がこだまする。
メヒャンとプヨンの師弟だ。
「天才とは努力するものをいつも悲しませる」。
メヒャンにはペンムが、プヨンにはチニ。
彼女たちはモーツァルトの天才を見抜いたサリエリだ。
天才を見抜く才能だけ与えてくれた神を彼女たちは呪い続けるだろうか。
いや、サリエリは男だったから。
メヒャンとプヨンは女だ。
神は女を男より確実に強くお創りになったはず。
サリエリになる彼女たちは見たくはない。
ひとりの天才をめぐって男も女も声なき声で悲鳴をあげる。
意思を言葉でつむぐ美しい人 NOW ON STAGE花組東京公演
2008年7月13日 SORAの世界〜観劇〜「雨唄」も「スカピン」もそれぞれが豪華な余韻を残してくれて、
わたしの頭はまだ大雨だったり「夫婦の会話は家でやれ」状態だ。
花組東京公演、初日開けましたね。おめでとう。
NOW ON STAGEで花組モードに一時的に切り替えなきゃ。
頭をはたきながらファーストラン時刻にテレビの前でスタンバイ。
みほちゃんの最後のご出演を見た。
「舞城のどか」さん。
花組に縁がなかったから本当にわかっていなくて…
すばらしい娘役ダンサーさんだと花組担だった従姉妹たちから聞いていたけれど、
「みほちゃんとの出会い」は青年館公演「舞姫」の清ちゃんだった。
日本物でお着物、もちろん日本髪の鬘のしっとり可愛い箱入り娘役。
「動き」を極端にセーブされるのだけど、客席からひたすらぼーっと見とれてしまったのは、清のたたずまいの美しさだった。
エリスやマリーの生き生きとした軽やかな動きとは究極の「静」の美しさ。
豊太郎がどうしても打ち捨てることのできない<祖国の美徳>がそこにあった。
ひざを軽く折り曲げて一礼する姿、袂を押さえて手を振る姿、すべてが美しい。
ダンスの人と言われるのも納得だったし、お芝居で見せた「句読点が見える話し方」も綺麗だから芝居の彼女をもっと見たいと思っていただけに。
退団は残念で仕方がない。
同期のまっつじゃないけれど「どうしてなのよー」という思いが抑えきれない。
悲しいよ、みほちゃん……。
卒業を前に、最後のトーク番組で見たみほちゃんはやっぱり「句読点が見える」話し方でした。
ここ5年ぐらいの世の中で主流の文末も意思も見えない話し方がわたし
苦手です。
もっとも雑談タイムで自分が「話す」ときは楽だからついつい走っちゃうんだけど、
初対面に近い方などにされるとむずむずする。
「…みたいな」
「っていうか」
文末にあるとねえ、結局どっちなの、どこへ行ってほしいのと困ることがある。
その人の「意思が見える」のはきれいだと思う。
大切なのは抑揚や言葉の選びかた、なにより心の持ち方だ。
心の持ち方が優しければ言い切りはきつくならないんだとみほちゃんを見ていて思った。
お芝居のみほちゃんはダンス担で、時代背景を象徴するような難しいダンスや、場面の切り替えを一手に任されている。
「物言わぬ語り部」の役割の難しさと向き合っている意思の強さ、まじめさが一言一言にこめられていていじらしい。
ショーの「引き潮」の少女では、広い舞台をいっぱいに使って踊れる嬉しさと感動を語ってくれた。
「わたしでいいんでしょうか?」
キャスティングに戸惑いがあったと聞いて思わず
「あなた以外に誰が踊るんですかー」と突っ込んだ。
娘役さんはとかく控えめ多くは語らぬもの。
舞台を降りても公の場では男役を立てるもの。
だけどそれは「無口」とは違うんだね。
男役を立てるのは男役の二倍も三倍も考え、動くことだと言ったのはあすかちゃんだが、
みほちゃんのトークを聞いてそれを思い出した。
コメントを求められたときにほとばしりにじみ出る「舞台への真摯な思い」をきれいな言葉で綴るみほちゃんには感動と尊敬を覚えてしまった。
始ったばかりの東京公演、今日もみほちゃんは観客を魅了していることでしょう。
まだまだ先ですが、もう一度あなたに会いに行きます。
千秋楽まで遠くから応援しています。がんばれみほちゃん。
わたしの頭はまだ大雨だったり「夫婦の会話は家でやれ」状態だ。
花組東京公演、初日開けましたね。おめでとう。
NOW ON STAGEで花組モードに
頭をはたきながらファーストラン時刻にテレビの前でスタンバイ。
みほちゃんの最後のご出演を見た。
「舞城のどか」さん。
花組に縁がなかったから本当にわかっていなくて…
すばらしい娘役ダンサーさんだと花組担だった従姉妹たちから聞いていたけれど、
「みほちゃんとの出会い」は青年館公演「舞姫」の清ちゃんだった。
日本物でお着物、もちろん日本髪の鬘のしっとり可愛い箱入り娘役。
「動き」を極端にセーブされるのだけど、客席からひたすらぼーっと見とれてしまったのは、清のたたずまいの美しさだった。
エリスやマリーの生き生きとした軽やかな動きとは究極の「静」の美しさ。
豊太郎がどうしても打ち捨てることのできない<祖国の美徳>がそこにあった。
ひざを軽く折り曲げて一礼する姿、袂を押さえて手を振る姿、すべてが美しい。
ダンスの人と言われるのも納得だったし、お芝居で見せた「句読点が見える話し方」も綺麗だから芝居の彼女をもっと見たいと思っていただけに。
退団は残念で仕方がない。
同期のまっつじゃないけれど「どうしてなのよー」という思いが抑えきれない。
悲しいよ、みほちゃん……。
卒業を前に、最後のトーク番組で見たみほちゃんはやっぱり「句読点が見える」話し方でした。
ここ5年ぐらいの世の中で主流の文末も意思も見えない話し方がわたし
苦手です。
もっとも雑談タイムで自分が「話す」ときは楽だからついつい走っちゃうんだけど、
初対面に近い方などにされるとむずむずする。
「…みたいな」
「っていうか」
文末にあるとねえ、結局どっちなの、どこへ行ってほしいのと困ることがある。
その人の「意思が見える」のはきれいだと思う。
大切なのは抑揚や言葉の選びかた、なにより心の持ち方だ。
心の持ち方が優しければ言い切りはきつくならないんだとみほちゃんを見ていて思った。
お芝居のみほちゃんはダンス担で、時代背景を象徴するような難しいダンスや、場面の切り替えを一手に任されている。
「物言わぬ語り部」の役割の難しさと向き合っている意思の強さ、まじめさが一言一言にこめられていていじらしい。
ショーの「引き潮」の少女では、広い舞台をいっぱいに使って踊れる嬉しさと感動を語ってくれた。
「わたしでいいんでしょうか?」
キャスティングに戸惑いがあったと聞いて思わず
「あなた以外に誰が踊るんですかー」と突っ込んだ。
娘役さんはとかく控えめ多くは語らぬもの。
舞台を降りても公の場では男役を立てるもの。
だけどそれは「無口」とは違うんだね。
男役を立てるのは男役の二倍も三倍も考え、動くことだと言ったのはあすかちゃんだが、
みほちゃんのトークを聞いてそれを思い出した。
コメントを求められたときにほとばしりにじみ出る「舞台への真摯な思い」をきれいな言葉で綴るみほちゃんには感動と尊敬を覚えてしまった。
始ったばかりの東京公演、今日もみほちゃんは観客を魅了していることでしょう。
まだまだ先ですが、もう一度あなたに会いに行きます。
千秋楽まで遠くから応援しています。がんばれみほちゃん。
ドンの恋人は 宙組公演」雨に唄えば」4
2008年7月12日 SORAの世界〜観劇〜宙組さんをじっくり見るのはずいぶん久しぶりのことなので、
今回は「はじめまして」さんばかりだった。
怪我のため休演したウメちゃんが星組版で演じたキャシーは「荒削りのエネルギー」で押し切ったヒロインだった。
瑞々しくてエネルギッシュな可愛さでドンを一瞬で虜にしていた。
お芝居も歌も「荒削り」なんだけど、そこがスターを夢見てレッスンに仕事に励むキャシー像にはまって、
ドンを落ち込ませるだけのパワーがあった。
「言葉の剣」を突き刺して去っていった憎らしいけど愛しい女の子だった。
アリスちゃん。
早くから「花ちゃん似」の可憐な容姿で抜擢され続け、
課題の歌もずいぶん進歩したと聞いて「努力家さん」の印象が強かった。
「歌」、よかったと思う。ぜんぜん、心配することなんてなかった。杞憂でした。
「ラッキー・スター」は発声の基礎の出来が出てしまう、なかなか難しい曲だが、低音も安定していて安心して聴けたし高音の伸びも綺麗だった。
心地よい適度な声量だったと思う。
だからお芝居で苦戦している彼女に気づいたときはびっくりした。
ごめんなさい。
アリスちゃんのキャシー、お人形さんに見えてしまいました…。
信じられないぐらい可愛くて魅力的なのに。
もう言われつくされていると思うけれど彼女は小柄すぎる。
もう少し頑張って適度なスタイルに仕上げよう。
綺麗に太るのは難しいけれどあのスタイルが感情表現の足かせになっている。
細くて華奢なのが悪いとは思わないけれど、
体全体を通して感情を表現しているはずなのに
それが停滞している瞬間があった。
ドンとの出会いでの「起承転結」が「起承」で立ち往生しているように見えた。
憧れの映画スターに出合ってドキドキ、
ふわ〜っとなったのもつかの間、
ドンの鼻持ちならない傲慢さにプチンと切れる。
「あんた何様のつもり?!」
ファンモードなんぞ蹴飛ばして戦闘開始するのがキャシーだと思う。
……この辺からアリスちゃんキャシー、よくわからなくなってしまったのです。
怒っているんだか抵抗しているんだかわからない。
かなり前方の席で観ていたんだけど。
何をやっても可愛くて可憐な人でも、
人間ならばそこに「喜怒哀楽」が見えるのが自然だ。
でもアリスちゃんキャシーは「怒」と「哀」が見えない。
あのシーンは「怒」の前に「哀」がほんの少しにじみ出る。
「スターへの幻滅」の瞬間。
あ、今愕然としたな。
夢壊されたな。
頭に来たな。怒りそうだな。あ、切れた。
が客席心理の推移だと思う。ここさえ伝えればキャシー像として成り立つ。
スターだから何をしても許されると思うなっ!
と切れて、
真の俳優はあんたみたいな奴とは違うわ、
本物でもない「影」がなにを言ってるのよっ
グサっとやってしまう。
スターに嫌われたら一番傷つくのは自分なのに。
わかっていてもやめられない、それがキャシーの生命力。
「ドンが一瞬で恋に落ちる」
理由が描かれるのがここだ。
どうしてだろう…アリスちゃん。
小柄なのは十分承知しているだろう。
だってあのスタイルですもの、さんざん言われていると思います。
もっと太りなさい、適度なお肉をつけろ、それが無理なら動きを研究しなさいと。
舞台人はその人その人で感情表現の手段は異なる。
大柄な人はどうやって可憐で可愛く見せるかを研究するし、
持って生まれた顔形に華が足りないといわれればヘアメイクでカバーする。
アリスちゃんは身長は主演娘役にふさわしい高さだし、細いのは悪いことではない。
ドレスの着こなしも首のラインが長くて綺麗だから見事だ。
だから表情。表情をどう動きで見せるかをあとひと踏ん張り研究を。
「動いたときにどう見せるか」を習得したら鬼に金棒、
こんな逸材は滅多にいない。
辛口でごめんね。アリスちゃん、期待しています。
今回は「はじめまして」さんばかりだった。
怪我のため休演したウメちゃんが星組版で演じたキャシーは「荒削りのエネルギー」で押し切ったヒロインだった。
瑞々しくてエネルギッシュな可愛さでドンを一瞬で虜にしていた。
お芝居も歌も「荒削り」なんだけど、そこがスターを夢見てレッスンに仕事に励むキャシー像にはまって、
ドンを落ち込ませるだけのパワーがあった。
「言葉の剣」を突き刺して去っていった憎らしいけど愛しい女の子だった。
アリスちゃん。
早くから「花ちゃん似」の可憐な容姿で抜擢され続け、
課題の歌もずいぶん進歩したと聞いて「努力家さん」の印象が強かった。
「歌」、よかったと思う。ぜんぜん、心配することなんてなかった。杞憂でした。
「ラッキー・スター」は発声の基礎の出来が出てしまう、なかなか難しい曲だが、低音も安定していて安心して聴けたし高音の伸びも綺麗だった。
心地よい適度な声量だったと思う。
だからお芝居で苦戦している彼女に気づいたときはびっくりした。
ごめんなさい。
アリスちゃんのキャシー、お人形さんに見えてしまいました…。
信じられないぐらい可愛くて魅力的なのに。
もう言われつくされていると思うけれど彼女は小柄すぎる。
もう少し頑張って適度なスタイルに仕上げよう。
綺麗に太るのは難しいけれどあのスタイルが感情表現の足かせになっている。
細くて華奢なのが悪いとは思わないけれど、
体全体を通して感情を表現しているはずなのに
それが停滞している瞬間があった。
ドンとの出会いでの「起承転結」が「起承」で立ち往生しているように見えた。
憧れの映画スターに出合ってドキドキ、
ふわ〜っとなったのもつかの間、
ドンの鼻持ちならない傲慢さにプチンと切れる。
「あんた何様のつもり?!」
ファンモードなんぞ蹴飛ばして戦闘開始するのがキャシーだと思う。
……この辺からアリスちゃんキャシー、よくわからなくなってしまったのです。
怒っているんだか抵抗しているんだかわからない。
かなり前方の席で観ていたんだけど。
何をやっても可愛くて可憐な人でも、
人間ならばそこに「喜怒哀楽」が見えるのが自然だ。
でもアリスちゃんキャシーは「怒」と「哀」が見えない。
あのシーンは「怒」の前に「哀」がほんの少しにじみ出る。
「スターへの幻滅」の瞬間。
あ、今愕然としたな。
夢壊されたな。
頭に来たな。怒りそうだな。あ、切れた。
が客席心理の推移だと思う。ここさえ伝えればキャシー像として成り立つ。
スターだから何をしても許されると思うなっ!
と切れて、
真の俳優はあんたみたいな奴とは違うわ、
本物でもない「影」がなにを言ってるのよっ
グサっとやってしまう。
スターに嫌われたら一番傷つくのは自分なのに。
わかっていてもやめられない、それがキャシーの生命力。
「ドンが一瞬で恋に落ちる」
理由が描かれるのがここだ。
どうしてだろう…アリスちゃん。
小柄なのは十分承知しているだろう。
だってあのスタイルですもの、さんざん言われていると思います。
もっと太りなさい、適度なお肉をつけろ、それが無理なら動きを研究しなさいと。
舞台人はその人その人で感情表現の手段は異なる。
大柄な人はどうやって可憐で可愛く見せるかを研究するし、
持って生まれた顔形に華が足りないといわれればヘアメイクでカバーする。
アリスちゃんは身長は主演娘役にふさわしい高さだし、細いのは悪いことではない。
ドレスの着こなしも首のラインが長くて綺麗だから見事だ。
だから表情。表情をどう動きで見せるかをあとひと踏ん張り研究を。
「動いたときにどう見せるか」を習得したら鬼に金棒、
こんな逸材は滅多にいない。
辛口でごめんね。アリスちゃん、期待しています。
戦うリナちゃん 宙組公演「雨に唄えば」3
2008年7月12日 SORAの世界〜観劇〜ふわんとした独特のベールに包まれた宙組版「雨に唄えば」。
その中で繰り広げられたのは、
ドンとリナの壮絶バトル。
いわずとしれた歩くはた迷惑リナちゃんの勘違いぶりその破壊力は星組を完全にしのいでいました。
星組版まとぶリナは本当に綺麗で綺麗で綺麗で、
頭のねじが斜めに刺さっていなければね、
もう一回ねじを巻きなおしてみようか?
って起死回生のチャンスを与えたくなるような愛らしさに満ちあふれていた。
お人よしだからトーキー到来が来なくてもいずれ誰かに陥れられていただろうと思わせるような危うさもあった。
ウメちゃんキャシーと互角に張り合うヒロインだった。
で。
宙組版リナちゃんはいわずとしれたみっちゃん。
キャスト発表と同時に
「絶対大阪まで観にいく!」
と決意したのは実はみっちゃんリナ見たさゆえ。
さぞ可愛いだろう、悪声と言ってもカナリアのさえずりみたいな変わった声かもしれないじゃない?
などなど勝手に妄想を広げた人は絶対他にもいる!(断言)
絶対の自信を持っていましたが。
……
………。
みっちゃんリナ、強すぎ。
映画版やら松竹版やら星組版やら各種それぞれを思い出し、
「リナ像」を定義するならばみっちゃんリナは絶対そこからはみ出しているだろう。
周囲を引っ掻き回すに終わらない、作品全体をぶんぶん振り回してますもん。
宙組版「雨に唄えば」はドンとリナのバトル物語になっていました。
みっちゃんリナはとにかく押し出しが強い。
ご立派です。
はっきり言うと「美女」ではない。
綺麗だし可愛いと思う、でも美女じゃない。
美しいドンの相手役としておかしくないだけの美貌なんだけど、
「ゴージャスカップル」で売るより彼女個人の押し出しを売りにしたくなるようなかっこよさ、生命力が魅力。
美女で終わらせるのが勿体ないぐらいの「美丈夫女優」だ。
映画版リナもかなりがっちりした体型なんだけど
やわらかさがあるからそれほどの迫力はない。
みっちゃんはすでに宙組の堂々たる3番手男役さん、
祐飛さんと張り合ったヘミングウェイの男っぷりが印象的な、
「黒系統」が以外にはまる人。
オフのふわんとした笑顔が舞台に乗るとぐっと力強くなるのは何故なんだろう…
リナちゃん、凛々しい。カッコいい。
ドンが勝てるわけがないよ。
そう、みっちゃんリナはドン相手に真剣に戦っていた。
映画と同じ、星組版と同じ、まったく同じ脚本で同じ台詞なのに一言しゃべるたびに「戦い」が見える。
ドンを振り向かせるのは自分を周囲に認めさせるため、
それが女優の正義だと剣を振りかざしているような戦う女優さんでした。
みっちゃんも「戦うリナ」をやろうとしているわけではないと思うけれど、
同じように星組版で「男役が挑戦したリナ」まとぶさんと180度違って見えたのは「抵抗力」が強いからだと思う。
免疫力の話じゃなく、抵抗する「力」のこと。
面白おかしく書いているから印象が薄いけれど「雨唄」のリナって失業の危機に見舞われているピンチ女優。
昨日まで自分が独占していたドンの相手役をぽっと出の新人に奪われるばかりか、
女優生命の危機に直面している。
死ぬ気で「抵抗」するのはしごく自然、
みっちゃんリナはその「腕力」が強いから何かするたびに「相手」に痛烈なアッパーを食らわせる。
ドンに対しても「可愛さあまって憎さ100倍」。
誰であろうと、あたしを苛める奴はただじゃあすまないからねっ!
と常に戦っているのだ。
リナちゃんの戦いは彼女の正義なんだ。そして真剣。
まじめに真剣に戦っているんだ。
キャシーの吹き替えを暴露されて上手袖に引っ込む瞬間にそれが感じられた。
逃げて行くリナがかわいそう。
「こうして悪い魔法使いは退治されました」
と来て
「めでたしめでたし」
とは言えなかった。
ドンとキャシーのハッピーエンドに素直に拍手をする気になれなかった。
宙組版「雨に唄えば」に毒がないと書いたけれど、お芝居の最後は「痛み」があった。
あの世界でただひとり孤独に戦った人。
みっちゃんリナは本当に生命力に溢れた尊敬すべき戦士でした。
その中で繰り広げられたのは、
ドンとリナの壮絶バトル。
いわずとしれた歩くはた迷惑リナちゃんの勘違いぶりその破壊力は星組を完全にしのいでいました。
星組版まとぶリナは本当に綺麗で綺麗で綺麗で、
頭のねじが斜めに刺さっていなければね、
もう一回ねじを巻きなおしてみようか?
って起死回生のチャンスを与えたくなるような愛らしさに満ちあふれていた。
お人よしだからトーキー到来が来なくてもいずれ誰かに陥れられていただろうと思わせるような危うさもあった。
ウメちゃんキャシーと互角に張り合うヒロインだった。
で。
宙組版リナちゃんはいわずとしれたみっちゃん。
キャスト発表と同時に
「絶対大阪まで観にいく!」
と決意したのは実はみっちゃんリナ見たさゆえ。
さぞ可愛いだろう、悪声と言ってもカナリアのさえずりみたいな変わった声かもしれないじゃない?
などなど勝手に妄想を広げた人は絶対他にもいる!(断言)
絶対の自信を持っていましたが。
……
………。
みっちゃんリナ、強すぎ。
映画版やら松竹版やら星組版やら各種それぞれを思い出し、
「リナ像」を定義するならばみっちゃんリナは絶対そこからはみ出しているだろう。
周囲を引っ掻き回すに終わらない、作品全体をぶんぶん振り回してますもん。
宙組版「雨に唄えば」はドンとリナのバトル物語になっていました。
みっちゃんリナはとにかく押し出しが強い。
ご立派です。
はっきり言うと「美女」ではない。
綺麗だし可愛いと思う、でも美女じゃない。
美しいドンの相手役としておかしくないだけの美貌なんだけど、
「ゴージャスカップル」で売るより彼女個人の押し出しを売りにしたくなるようなかっこよさ、生命力が魅力。
美女で終わらせるのが勿体ないぐらいの「美丈夫女優」だ。
映画版リナもかなりがっちりした体型なんだけど
やわらかさがあるからそれほどの迫力はない。
みっちゃんはすでに宙組の堂々たる3番手男役さん、
祐飛さんと張り合ったヘミングウェイの男っぷりが印象的な、
「黒系統」が以外にはまる人。
オフのふわんとした笑顔が舞台に乗るとぐっと力強くなるのは何故なんだろう…
リナちゃん、凛々しい。カッコいい。
ドンが勝てるわけがないよ。
そう、みっちゃんリナはドン相手に真剣に戦っていた。
映画と同じ、星組版と同じ、まったく同じ脚本で同じ台詞なのに一言しゃべるたびに「戦い」が見える。
ドンを振り向かせるのは自分を周囲に認めさせるため、
それが女優の正義だと剣を振りかざしているような戦う女優さんでした。
みっちゃんも「戦うリナ」をやろうとしているわけではないと思うけれど、
同じように星組版で「男役が挑戦したリナ」まとぶさんと180度違って見えたのは「抵抗力」が強いからだと思う。
免疫力の話じゃなく、抵抗する「力」のこと。
面白おかしく書いているから印象が薄いけれど「雨唄」のリナって失業の危機に見舞われているピンチ女優。
昨日まで自分が独占していたドンの相手役をぽっと出の新人に奪われるばかりか、
女優生命の危機に直面している。
死ぬ気で「抵抗」するのはしごく自然、
みっちゃんリナはその「腕力」が強いから何かするたびに「相手」に痛烈なアッパーを食らわせる。
ドンに対しても「可愛さあまって憎さ100倍」。
誰であろうと、あたしを苛める奴はただじゃあすまないからねっ!
と常に戦っているのだ。
リナちゃんの戦いは彼女の正義なんだ。そして真剣。
まじめに真剣に戦っているんだ。
キャシーの吹き替えを暴露されて上手袖に引っ込む瞬間にそれが感じられた。
逃げて行くリナがかわいそう。
「こうして悪い魔法使いは退治されました」
と来て
「めでたしめでたし」
とは言えなかった。
ドンとキャシーのハッピーエンドに素直に拍手をする気になれなかった。
宙組版「雨に唄えば」に毒がないと書いたけれど、お芝居の最後は「痛み」があった。
あの世界でただひとり孤独に戦った人。
みっちゃんリナは本当に生命力に溢れた尊敬すべき戦士でした。
プリンスを包む世界 宙組公演「雨に唄えば」2
2008年7月12日 SORAの世界〜観劇〜タニちゃんドンは映画界の御曹司風で、若くして成功した趣がある。
幕開けのプレミア試写会だって強烈な初々しさが迫ってくる。
そしてスターの傲慢さが薄い。
さらにコズモの存在がそれに拍車をかける。
らんとむ君がまた「青春まっしぐら」。
苦労を共にした親友同士というより、
大嘘サクセスストーリーの「御曹司たち」そのままに見える。
ふたりともまっすぐで、お互いの成功を喜び合ってきたようなコンビ。
撮影所の面々もふたりの成長を見守ってきたような暖かさがあって、
仕事場がこんなに愛に満ち溢れているなんてすごいなーと変なところで感心してしまった。
だから、「初めて振られた女ってわけ?」
コズモの問いかけに素直に頷くドンは振られたことがショックなんじゃない。
自分の一番自信のないところを突かれて動揺しているだけ、
悩める美青年に見える。
コズモはドンの動揺の意味がわかるから
「気を紛らわせようと」おどけて歌ってみせる。
キャシーの存在の意味合いが星組版はもっと違っていた。
もともと恋愛度が高いとは決して言えない「雨唄」が、
宙組版はもっと低かった。
恋愛していないわけではないし、ドンだけの問題ではない。
とにかく宙組版はドンをあたたかく包み込むような周囲の空気が大きいの。
キャシーもその一部。
物語の背景=撮影所にも馬の目を射る芸能界の趣は微塵もない。
撮影所自体がひとつの純粋な魂に見える。
これは今の宙組そのものを体現しているんだと思う。
キラキラ・プリンスを盛り立てようとみんなが純粋でまっすぐな気持ちで集っている場所。
撮影所のあちこちで何本も映画を撮っていて、そのやり方もやっつけ仕事の量産システム、
なのに
「何を撮っても同じさ。そして今度も大ヒット」
と言い切る言葉に毒がない。
毒を知らないから毒を含ませられない、
そんな純粋ささえある映画界って実に不思議だった。
そう毒がない。
今の宙組ならではの味わい。
癒しとは違う、戸惑いにも似た不思議な空間がそこに広がっている。
人間世界の毒や闇を求めようとすると、物足りないのだけど
そこに足を踏み入れた人間はみんな心がまっすぐに浄化されるような空間。
いやー面白い。
宝塚ひろしと言えどもめったに見られない世界だと思う。
幕開けのプレミア試写会だって強烈な初々しさが迫ってくる。
そしてスターの傲慢さが薄い。
さらにコズモの存在がそれに拍車をかける。
らんとむ君がまた「青春まっしぐら」。
苦労を共にした親友同士というより、
大嘘サクセスストーリーの「御曹司たち」そのままに見える。
ふたりともまっすぐで、お互いの成功を喜び合ってきたようなコンビ。
撮影所の面々もふたりの成長を見守ってきたような暖かさがあって、
仕事場がこんなに愛に満ち溢れているなんてすごいなーと変なところで感心してしまった。
だから、「初めて振られた女ってわけ?」
コズモの問いかけに素直に頷くドンは振られたことがショックなんじゃない。
自分の一番自信のないところを突かれて動揺しているだけ、
悩める美青年に見える。
コズモはドンの動揺の意味がわかるから
「気を紛らわせようと」おどけて歌ってみせる。
キャシーの存在の意味合いが星組版はもっと違っていた。
もともと恋愛度が高いとは決して言えない「雨唄」が、
宙組版はもっと低かった。
恋愛していないわけではないし、ドンだけの問題ではない。
とにかく宙組版はドンをあたたかく包み込むような周囲の空気が大きいの。
キャシーもその一部。
物語の背景=撮影所にも馬の目を射る芸能界の趣は微塵もない。
撮影所自体がひとつの純粋な魂に見える。
これは今の宙組そのものを体現しているんだと思う。
キラキラ・プリンスを盛り立てようとみんなが純粋でまっすぐな気持ちで集っている場所。
撮影所のあちこちで何本も映画を撮っていて、そのやり方もやっつけ仕事の量産システム、
なのに
「何を撮っても同じさ。そして今度も大ヒット」
と言い切る言葉に毒がない。
毒を知らないから毒を含ませられない、
そんな純粋ささえある映画界って実に不思議だった。
そう毒がない。
今の宙組ならではの味わい。
癒しとは違う、戸惑いにも似た不思議な空間がそこに広がっている。
人間世界の毒や闇を求めようとすると、物足りないのだけど
そこに足を踏み入れた人間はみんな心がまっすぐに浄化されるような空間。
いやー面白い。
宝塚ひろしと言えどもめったに見られない世界だと思う。
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彼はプリンス 宙組梅田芸術劇場「雨に唄えば」1
2008年7月12日 SORAの世界〜観劇〜わたしもやった、それ!
やりましたやりました、雨の日の傘遊び。
宙組梅田芸術劇場公演「雨に唄えば」の話。
途方もなく広いこの劇場で、前から3列目という至近距離で観たタニちゃんドンはどしゃぶりの雨のなか、傘と戯れておりました。
これぐらい前だと「通行人」の目線で見てしまうようで、
ドンの「傘あそび」を冷ややかに眺めつ、
「ああわたしも同じことやったわ」
幼い頃の雨の日を思い出していました。
幼い頃を思い出したのは、タニちゃんがどこまでもキラキラ王子のまんまのドンだったから。
先日このブログに「ドンは大人の男でいてくれ」と書いたのも
「大の大人がいい年して」を観たかったからで、
一幕の最後のこのシーンに至るまでこれでもか!
というぐらいタニちゃんが悩める若きプリンス風だったから、
「王子様おやめください」
お止めしたくなったのも事実。
プリンスのおふざけに目を吊り上げる教育係はこんな気分なんだ。
王国の明日を担う王子が日々成長する姿に満足しつつ、
担った責任の大きさに自信を培えない王子を限りなく愛しく思う。
大和ドン(タニ・ドンはやめよう)は純粋培養された「明日の映画界を担う若きスター」風でした。
両親は映画監督と美人女優でやっぱり美人のヴァイオリニストの姉がいる。
幼い頃から撮影現場に慣れ親しみ、周囲の人は彼の美貌に将来のスターを夢見てその成長を見守ってきたような映画界の申し子。
ドンとコズモの「うそっぱちストーリー」が見事に「作り物」に見えちゃうとんでもない若様。
両親の情操教育が功を奏して、奢ることもなく。
タニちゃんの宝塚人生そのまんまに見えるドン・ロックウッドでした。
やりましたやりました、雨の日の傘遊び。
宙組梅田芸術劇場公演「雨に唄えば」の話。
途方もなく広いこの劇場で、前から3列目という至近距離で観たタニちゃんドンはどしゃぶりの雨のなか、傘と戯れておりました。
これぐらい前だと「通行人」の目線で見てしまうようで、
ドンの「傘あそび」を冷ややかに眺めつ、
「ああわたしも同じことやったわ」
幼い頃の雨の日を思い出していました。
幼い頃を思い出したのは、タニちゃんがどこまでもキラキラ王子のまんまのドンだったから。
先日このブログに「ドンは大人の男でいてくれ」と書いたのも
「大の大人がいい年して」を観たかったからで、
一幕の最後のこのシーンに至るまでこれでもか!
というぐらいタニちゃんが悩める若きプリンス風だったから、
「王子様おやめください」
お止めしたくなったのも事実。
プリンスのおふざけに目を吊り上げる教育係はこんな気分なんだ。
王国の明日を担う王子が日々成長する姿に満足しつつ、
担った責任の大きさに自信を培えない王子を限りなく愛しく思う。
大和ドン(タニ・ドンはやめよう)は純粋培養された「明日の映画界を担う若きスター」風でした。
両親は映画監督と美人女優でやっぱり美人のヴァイオリニストの姉がいる。
幼い頃から撮影現場に慣れ親しみ、周囲の人は彼の美貌に将来のスターを夢見てその成長を見守ってきたような映画界の申し子。
ドンとコズモの「うそっぱちストーリー」が見事に「作り物」に見えちゃうとんでもない若様。
両親の情操教育が功を奏して、奢ることもなく。
タニちゃんの宝塚人生そのまんまに見えるドン・ロックウッドでした。
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インパクト?そんなの関係なーい 「銀ちゃんの恋」ポスター
2008年7月10日 SORAの世界〜観劇〜宙組さん「雨に唄えば」も星組「スカーレット・ピンパーネル」も楽しくて楽しくて、
「ちょっと聞いてっ」
メールをあっちこっちに送っていた今回の大阪行き。
本当にステキでした、どちらも。
…感想早くまとめたい。あああの楽しさを語ってくれる単語が出て来ない、
ので今のうちにこっちを書いておきましょう。
「銀ちゃんの恋」ポスター実物見て来ました。
はい。
梅田芸術劇場メインホールのロビーの何箇所で。
公式サイトでおなじみ「ピンクの背景しょった大空銀ちゃんとはえたたき」の拡大版が燦然と輝いておりました。
公式サイトで「対面」したときの衝撃は「嘘偽りのない単語」で書き綴りましたけれど、
ポスターはさらにパワーアップというか格別の破壊力がありました。
梅芸のロビーは奥まったところに喫煙スペースがあります。
ここは殿方が多く憩われる場所。もちろんレディもいらっしゃいますけれど、ほかより男性の滞在率が高い。
で、今回の宙組さんてば「雨に唄えば」じゃないですか。
やっぱりなーと思ったのは作品のネームバリュー、
「宝塚が雨に唄えばやると聞いたから来てみた」
ボソボソ話しておられる紳士を発見。お連れの方も男性、古き良きミュージカル映画のファンかなーという雰囲気。
しばらく「一幕」の感想をボソボソボソ。
楽しんでいらっしゃるようです。よかったよかった。
そろそろ幕間終了という頃合になったときのこと。
紳士のおひとりがしっかりはっきりおっしゃいました。
「銀ちゃんの恋。」
ああやっぱり。
紳士の斜め左前方の壁にいたのです。
本日も反省の色なしのあのポスターが。
どうやら紳士、煙草をふかせながらチラ見なさっていたらしい。
客席に戻らなくてはいけない、急がなくちゃいけない、でも言っておきたい。
そんな感じでささっとおっしゃった(ように見えた)。
「すごいですねこれ」
「これ」ですか。
「これ」はポスター?それとも大空さん?はえたたき?
いろいろいろいろ、わたしも探りを入れたかったのだけれど。
「二幕が始まります、お急ぎくださーい」
というタイミングだったので。
紳士の「本音」は確認できずに終わりましたけれど。
あのポスターのインパクトはやはりすごいものがあるらしいです。
「ちょっと聞いてっ」
メールをあっちこっちに送っていた今回の大阪行き。
本当にステキでした、どちらも。
…感想早くまとめたい。あああの楽しさを語ってくれる単語が出て来ない、
ので今のうちにこっちを書いておきましょう。
「銀ちゃんの恋」ポスター実物見て来ました。
はい。
梅田芸術劇場メインホールのロビーの何箇所で。
公式サイトでおなじみ「ピンクの背景しょった大空銀ちゃんとはえたたき」の拡大版が燦然と輝いておりました。
公式サイトで「対面」したときの衝撃は「嘘偽りのない単語」で書き綴りましたけれど、
ポスターはさらにパワーアップというか格別の破壊力がありました。
梅芸のロビーは奥まったところに喫煙スペースがあります。
ここは殿方が多く憩われる場所。もちろんレディもいらっしゃいますけれど、ほかより男性の滞在率が高い。
で、今回の宙組さんてば「雨に唄えば」じゃないですか。
やっぱりなーと思ったのは作品のネームバリュー、
「宝塚が雨に唄えばやると聞いたから来てみた」
ボソボソ話しておられる紳士を発見。お連れの方も男性、古き良きミュージカル映画のファンかなーという雰囲気。
しばらく「一幕」の感想をボソボソボソ。
楽しんでいらっしゃるようです。よかったよかった。
そろそろ幕間終了という頃合になったときのこと。
紳士のおひとりがしっかりはっきりおっしゃいました。
「銀ちゃんの恋。」
ああやっぱり。
紳士の斜め左前方の壁にいたのです。
本日も反省の色なしのあのポスターが。
どうやら紳士、煙草をふかせながらチラ見なさっていたらしい。
客席に戻らなくてはいけない、急がなくちゃいけない、でも言っておきたい。
そんな感じでささっとおっしゃった(ように見えた)。
「すごいですねこれ」
「これ」ですか。
「これ」はポスター?それとも大空さん?はえたたき?
いろいろいろいろ、わたしも探りを入れたかったのだけれど。
「二幕が始まります、お急ぎくださーい」
というタイミングだったので。
紳士の「本音」は確認できずに終わりましたけれど。
あのポスターのインパクトはやはりすごいものがあるらしいです。
チケットものがたり 花組シアタードラマシティ「銀ちゃんの恋」
2008年7月10日 SORAの世界〜チケット〜星組圧勝に沸き立ったのもつかの間、
今度はドラマシティ「銀ちゃんの恋」の抽選結果がやってきた。
梅田芸術劇場ネット会員の抽選結果です。
結果判明の時刻、わたしは梅田へ遠征中。
こういうときのために携帯へメール転送手配しておけばいいものを、それも忘れて出てきたからWebサイトで直接見るしかない。
どこかでチェックできないものかなと探したらあちこちにあったあった。
10分100円ネット利用マシン。
いざ!
………
………
…………。
肝心の会員パスワードいくら入れても認証してくれない。
……思い出せない。馬鹿か。
10分がむなしくすぎて時間切れ。大馬鹿だ。ああわたしの100円が。
その間にもあちこちから携帯に入ってくる「外れた」メール。
友達に頼みまくってエントリーしてもらっていた分をみんなが速報してくれる。
結果は早い方がいい。
「×だわ。○あプレリザーブ入れる?」
と気を利かせてくれる人までいる。
自分のエントリーもこりゃ絶対外れた。
確認した。
だって<友人たちのチケット運>わたしのチケット運>だから。
これまでずーっとそうでしたから。
友人たちが外れてわたしが当たるはずがない。
これが自然の摂理と言うものよ。
気分はどんどん下り坂、ネガティブネガティブへ染まっていきます。
でも友人たちの気遣い嬉しいなあ。
今度がダメでもまだチャンスがあると励ましてくれるなんて。
いそいそと
「○あプレリザーブお願いします」
メールをちまちま打っては送信送信。
劇場のネット会員と○あとどっちが難しいんだろ?
よくわからないけれど下手な鉄砲も撃っておいたほうがいい。
自分も携帯から○あにアクセス、希望日をエントリー、
よし、ネガティブ返上!
厳密には違いますがそのときは「前向きに前進」と思ったんです。
そして今日。夜帰宅してゆっくりゆっくりパソコンを開けた。
実にいや〜な「下がっているのが確実な通知表を受け取る気分」。
確実に大阪に足を運べる日程を考慮して、第一期と第四期をエントリーしたから結果メールは2通入る。
当選メールのほうが早く入ると聞いたので受信刻をチェックすると30分のズレがあった。
も・もしかして。
遅いほう。「落選」。
やっぱり。
早いほう。「当選」。
やっぱり。
え。
ま・さ・か。
まさか、まさか、まさか。嘘でしょう?
恐る恐る…○月◎日☆時公演当たってました!これ第一希望なんですけどっ
…たまにはあるんだ、わたしにも。
大空さん出演の公演は滅多なことでは当たらない、
当たったとしても絶対友人たちが同じ日を当ててくれていて、
わたしの当てた分は友人たちの分よりずっと後ろでずっと端という切ない歴史を刻んできたこのわたしが。
チケット運の女神さまーっありがとうございますっ!
今度はドラマシティ「銀ちゃんの恋」の抽選結果がやってきた。
梅田芸術劇場ネット会員の抽選結果です。
結果判明の時刻、わたしは梅田へ遠征中。
こういうときのために携帯へメール転送手配しておけばいいものを、それも忘れて出てきたからWebサイトで直接見るしかない。
どこかでチェックできないものかなと探したらあちこちにあったあった。
10分100円ネット利用マシン。
いざ!
………
………
…………。
肝心の会員パスワードいくら入れても認証してくれない。
……思い出せない。馬鹿か。
10分がむなしくすぎて時間切れ。大馬鹿だ。ああわたしの100円が。
その間にもあちこちから携帯に入ってくる「外れた」メール。
友達に頼みまくってエントリーしてもらっていた分をみんなが速報してくれる。
結果は早い方がいい。
「×だわ。○あプレリザーブ入れる?」
と気を利かせてくれる人までいる。
自分のエントリーもこりゃ絶対外れた。
確認した。
だって<友人たちのチケット運>わたしのチケット運>だから。
これまでずーっとそうでしたから。
友人たちが外れてわたしが当たるはずがない。
これが自然の摂理と言うものよ。
気分はどんどん下り坂、ネガティブネガティブへ染まっていきます。
でも友人たちの気遣い嬉しいなあ。
今度がダメでもまだチャンスがあると励ましてくれるなんて。
いそいそと
「○あプレリザーブお願いします」
メールをちまちま打っては送信送信。
劇場のネット会員と○あとどっちが難しいんだろ?
よくわからないけれど下手な鉄砲も撃っておいたほうがいい。
自分も携帯から○あにアクセス、希望日をエントリー、
よし、ネガティブ返上!
厳密には違いますがそのときは「前向きに前進」と思ったんです。
そして今日。夜帰宅してゆっくりゆっくりパソコンを開けた。
実にいや〜な「下がっているのが確実な通知表を受け取る気分」。
確実に大阪に足を運べる日程を考慮して、第一期と第四期をエントリーしたから結果メールは2通入る。
当選メールのほうが早く入ると聞いたので受信刻をチェックすると30分のズレがあった。
も・もしかして。
遅いほう。「落選」。
やっぱり。
早いほう。「当選」。
やっぱり。
え。
ま・さ・か。
まさか、まさか、まさか。嘘でしょう?
恐る恐る…○月◎日☆時公演当たってました!これ第一希望なんですけどっ
…たまにはあるんだ、わたしにも。
大空さん出演の公演は滅多なことでは当たらない、
当たったとしても絶対友人たちが同じ日を当ててくれていて、
わたしの当てた分は友人たちの分よりずっと後ろでずっと端という切ない歴史を刻んできたこのわたしが。
チケット運の女神さまーっありがとうございますっ!
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このところずっと他人様のチケット運にすがっていたが、
ようやく「恩返し」ができた。
星組東京公演「スカーレット・ピンパーネル」
宝塚友の会抽選エントリー、当たりました!
恩人あーちゃんの希望日、それもウイークエンド!
東京公演で平日以外が当たったのはわたしのカード史上初めてです。
大劇場公演にいたく感動したあーちゃんは
「たくさん観たい」
とにかく日数をばらしてエントリーしたようだ。
いつもなら絶対に観たい日を何重にもエントリーするのだけど。
これが吉と出たようで、あーちゃん本人は見事別の日をゲット!
少しでも多く観たい彼女にとっては一番嬉しい結果だった。
やっとできましたよ、恩返し。
本人が希望日を取れたのも嬉しい。
チケット運の女神さま、ありがとうございます。
ようやく「恩返し」ができた。
星組東京公演「スカーレット・ピンパーネル」
宝塚友の会抽選エントリー、当たりました!
恩人あーちゃんの希望日、それもウイークエンド!
東京公演で平日以外が当たったのはわたしのカード史上初めてです。
大劇場公演にいたく感動したあーちゃんは
「たくさん観たい」
とにかく日数をばらしてエントリーしたようだ。
いつもなら絶対に観たい日を何重にもエントリーするのだけど。
これが吉と出たようで、あーちゃん本人は見事別の日をゲット!
少しでも多く観たい彼女にとっては一番嬉しい結果だった。
やっとできましたよ、恩返し。
本人が希望日を取れたのも嬉しい。
チケット運の女神さま、ありがとうございます。
ご褒美ってのは嬉しいもんだな 2007年度賞授賞式
2008年7月7日2007年度賞授賞式を見た。
わたしはいまひとつ、劇団が公に認める年度賞の重さがよくわからない。
選出基準がわからないから判断ができないのだ。
正直言うと第一報を聞いたとき、どう反応していいものか迷ってしまった。
でも意味や重さがわからないのなら
「認めてもらえてよかったね」
素直に拍手を贈ればいいのだろう。
そう遠くない昔のこと、日本国民だったら誰でも知っている名作映画「寅さん」の渥美清さんがとある賞を受賞した。
それは彼の没後に贈られたもので、
生前贈られなかったことや作品の性格を慮ってか、
とあるシナリオライターさんだったか、
授賞式の場で「さくら」こと倍賞千恵子さんにこんな意見をぶつけた。
倍賞さんは故渥美さんの代わりに賞を受け取ったのだ。
「なぜ賞なんて受け取るんですか。お国が与えてやる賞なんて寅さんは喜ばないと思いますよ」と。
さくらさんは答えた。
「お兄ちゃんは<ご褒美ってのは、嬉しいもんだな。>
なんて言うんじゃないでしょうか」
ぐっと来た。
誌面で読んだとき、当のライターさんと同じぐらいわたしも穴があったら入りたかった。
「死んだあと国民栄誉賞を与えてやるの?
国ってそんなに偉いの?」
寅さんはすでに誰もが認める国民的人気キャラで、
渥美さんの功績をわざわざ国に認めてもらうまでもない。
みんなが認めて愛しているそれで十分だ。
俳優の死後、国が慌てて贈ることに何の意味があるんだろう?
渥美さんの死後に贈られたその賞を手放しで喜べなかったのだ。
お兄ちゃんもさくらさんも全然違うところで喜んでいる。
どうしてわたしはそこへ行けなかったのだろう…。
今でも「評価」をどう取るべきか迷ったとき、思い出すやり取りである。
さて。
授賞式のメンバーにはさおたさん(努力賞)と祐飛さん(努力賞)の姿もあった。
なんと言ってもわたしはファンだから。
嬉しい嬉しい嬉しい。
わたしの大好きなお2人が「認められて」この場にいる。
それがどれぐらいの意味を持つかなんていい。
それより素直に寅さんになったほうが楽しいってもんだ。
ご褒美ってのは嬉しいもんだな。ねえ、さくらさん。
わたしはいまひとつ、劇団が公に認める年度賞の重さがよくわからない。
選出基準がわからないから判断ができないのだ。
正直言うと第一報を聞いたとき、どう反応していいものか迷ってしまった。
でも意味や重さがわからないのなら
「認めてもらえてよかったね」
素直に拍手を贈ればいいのだろう。
そう遠くない昔のこと、日本国民だったら誰でも知っている名作映画「寅さん」の渥美清さんがとある賞を受賞した。
それは彼の没後に贈られたもので、
生前贈られなかったことや作品の性格を慮ってか、
とあるシナリオライターさんだったか、
授賞式の場で「さくら」こと倍賞千恵子さんにこんな意見をぶつけた。
倍賞さんは故渥美さんの代わりに賞を受け取ったのだ。
「なぜ賞なんて受け取るんですか。お国が与えてやる賞なんて寅さんは喜ばないと思いますよ」と。
さくらさんは答えた。
「お兄ちゃんは<ご褒美ってのは、嬉しいもんだな。>
なんて言うんじゃないでしょうか」
ぐっと来た。
誌面で読んだとき、当のライターさんと同じぐらいわたしも穴があったら入りたかった。
「死んだあと国民栄誉賞を与えてやるの?
国ってそんなに偉いの?」
寅さんはすでに誰もが認める国民的人気キャラで、
渥美さんの功績をわざわざ国に認めてもらうまでもない。
みんなが認めて愛しているそれで十分だ。
俳優の死後、国が慌てて贈ることに何の意味があるんだろう?
渥美さんの死後に贈られたその賞を手放しで喜べなかったのだ。
お兄ちゃんもさくらさんも全然違うところで喜んでいる。
どうしてわたしはそこへ行けなかったのだろう…。
今でも「評価」をどう取るべきか迷ったとき、思い出すやり取りである。
さて。
授賞式のメンバーにはさおたさん(努力賞)と祐飛さん(努力賞)の姿もあった。
なんと言ってもわたしはファンだから。
嬉しい嬉しい嬉しい。
わたしの大好きなお2人が「認められて」この場にいる。
それがどれぐらいの意味を持つかなんていい。
それより素直に寅さんになったほうが楽しいってもんだ。
ご褒美ってのは嬉しいもんだな。ねえ、さくらさん。
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ピョクケス様萌え ファン・ジニ 第14回「偽りの音色」
2008年7月7日 韓国王朝ドラマの世界ピョクケス様、萌え〜っ
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny/yotei/story_14.html
ああすっきり。
「萌え〜っ」
一度大きな文字で書いてみたかった。
はいすっきり。
ピョクケス様はいい迷惑だろうが、おばさんすっかりピョク萌えしてしまいました。
ごめんなさい。
身分高い人は「端から見たらどう思われるか」など
思いつくことなどないのでしょうか。
それともお供の方にしたら
「なあに、しょっちゅうですから」
ということ?
それにしてもピョクケス様、一生懸命ぶりが可愛い。
チニを振り向かせるために命がけ、恥も外聞もない、
「先生」の言うことをおとなしく聞いている姿が10歳は若く見えた。
ヒョングムの指導が実は裏があったら面白いのだけど、
ピョクケス様が可哀相だからそれを望むのはやめておこう。
萌えネタはこのぐらいにして。
チニとキム・ジョンハンは似たもの同士ですね。
「あの方」と「イェージョパンソ様(ジョンハン)」が似ているのじゃなく
チニ自身がそっくりだと思う。
同じことに傷ついているところが。
真心で接することができない相手には情けをかけられない。
「遊び」も「中途半端」もないところが本当にもうそっくりだ。
きっと「傷つく」度合いも似ているのでしょうね。
だから惹かれあうのかもしれない。
チニがようやく出会えたもうひとりの運命の人、
同じ魂を持った彼は師ペンムの「かなわぬ恋を味あわせるぐらいなら情けなどかけないでくれ」という懇願に腹をきめてしまったようです。
誰よりも「愛」に恵まれたチニの最大の不幸は
「愛がなくても生きられるけど芸なしでは生きていけない」
星の下に生まれたこと。
自分と同じ星の下に生まれた娘を労わり少しでも傷を負わないよう羽を広げて守ろうとするヒョングム、
小柄な彼女が今回はとても大きく見えた。
母の胸に甘えている瞬間だけでもチニにとって「安堵」のひと時であってほしい。
たとえ母までもが「もうひとりの運命の人」を彼女から遠ざけようとしたとしても。
ヒョングムとチニ、親子の絆もますます目が離せなくなりました。
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/hwangjiny/yotei/story_14.html
ああすっきり。
「萌え〜っ」
一度大きな文字で書いてみたかった。
はいすっきり。
ピョクケス様はいい迷惑だろうが、おばさんすっかりピョク萌えしてしまいました。
ごめんなさい。
身分高い人は「端から見たらどう思われるか」など
思いつくことなどないのでしょうか。
それともお供の方にしたら
「なあに、しょっちゅうですから」
ということ?
それにしてもピョクケス様、一生懸命ぶりが可愛い。
チニを振り向かせるために命がけ、恥も外聞もない、
「先生」の言うことをおとなしく聞いている姿が10歳は若く見えた。
ヒョングムの指導が実は裏があったら面白いのだけど、
ピョクケス様が可哀相だからそれを望むのはやめておこう。
萌えネタはこのぐらいにして。
チニとキム・ジョンハンは似たもの同士ですね。
「あの方」と「イェージョパンソ様(ジョンハン)」が似ているのじゃなく
チニ自身がそっくりだと思う。
同じことに傷ついているところが。
真心で接することができない相手には情けをかけられない。
「遊び」も「中途半端」もないところが本当にもうそっくりだ。
きっと「傷つく」度合いも似ているのでしょうね。
だから惹かれあうのかもしれない。
チニがようやく出会えたもうひとりの運命の人、
同じ魂を持った彼は師ペンムの「かなわぬ恋を味あわせるぐらいなら情けなどかけないでくれ」という懇願に腹をきめてしまったようです。
誰よりも「愛」に恵まれたチニの最大の不幸は
「愛がなくても生きられるけど芸なしでは生きていけない」
星の下に生まれたこと。
自分と同じ星の下に生まれた娘を労わり少しでも傷を負わないよう羽を広げて守ろうとするヒョングム、
小柄な彼女が今回はとても大きく見えた。
母の胸に甘えている瞬間だけでもチニにとって「安堵」のひと時であってほしい。
たとえ母までもが「もうひとりの運命の人」を彼女から遠ざけようとしたとしても。
ヒョングムとチニ、親子の絆もますます目が離せなくなりました。
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もうすぐ梅田芸術劇場で「雨に唄えば」を観る。
名作の誉れの高い映画が生まれて幾星霜
「雨の中歌って踊るジーン・ケリーが秀逸」と賞賛されてきたけれど、
10代の頃はそれがよくわからなかった。
20代、舞台鑑賞に目覚めてあっちこっちの舞台を梯子した頃はどしゃぶりの中でのタップがすごいと思った。
30代の後半に入った頃だろう。
賞賛される理由がやっとわかった。
大のおとなが雨に打たれておおはしゃぎてヤバいでしょ、ソレ!!
ってことだ。
最大の謎<映画不振のおかげで主演男優の屋敷が競売にかけられる>はまあ置いておくとして(ドンは経営者ですか)、
追い詰められて切羽詰った夜中にひらめいた名案に
いてもたってもいられずおおはしゃぎする中年オジサマと考えればいいのだ。
「いい年して」
がキーワードだろう。
「長靴」「雨合羽」「黄色の傘」が似合う子供時代
誰でも一度は「長靴を履いて水溜りを歩く」。
跳ねを飛ばしても大丈夫、足元が生暖かいのも「平気だよっへへん!」てな顔をして得意げになって。
「汚れるからやめなさいっ」
親に怒られて
「はーい」
いったんは出るんだけど、隙あらば繰り返す。
泥だらけになっても洗うのは親(笑)。
そんな時代にやったお馬鹿。
それと同じ次元だと思う。
大の大人がやったら通報されるようなお馬鹿。
恥も外聞も大事で見得も生きていく上では必須アイテムで、体裁が命の大人がやるからこそ
「もう〜っ!」
と共感を覚えるのだ。
だからドンは大人であってほしい。
タニちゃん、期待していますよ。
名作の誉れの高い映画が生まれて幾星霜
「雨の中歌って踊るジーン・ケリーが秀逸」と賞賛されてきたけれど、
10代の頃はそれがよくわからなかった。
20代、舞台鑑賞に目覚めてあっちこっちの舞台を梯子した頃はどしゃぶりの中でのタップがすごいと思った。
30代の後半に入った頃だろう。
賞賛される理由がやっとわかった。
大のおとなが雨に打たれておおはしゃぎてヤバいでしょ、ソレ!!
ってことだ。
最大の謎<映画不振のおかげで主演男優の屋敷が競売にかけられる>はまあ置いておくとして(ドンは経営者ですか)、
追い詰められて切羽詰った夜中にひらめいた名案に
いてもたってもいられずおおはしゃぎする中年オジサマと考えればいいのだ。
「いい年して」
がキーワードだろう。
「長靴」「雨合羽」「黄色の傘」が似合う子供時代
誰でも一度は「長靴を履いて水溜りを歩く」。
跳ねを飛ばしても大丈夫、足元が生暖かいのも「平気だよっへへん!」てな顔をして得意げになって。
「汚れるからやめなさいっ」
親に怒られて
「はーい」
いったんは出るんだけど、隙あらば繰り返す。
泥だらけになっても洗うのは親(笑)。
そんな時代にやったお馬鹿。
それと同じ次元だと思う。
大の大人がやったら通報されるようなお馬鹿。
恥も外聞も大事で見得も生きていく上では必須アイテムで、体裁が命の大人がやるからこそ
「もう〜っ!」
と共感を覚えるのだ。
だからドンは大人であってほしい。
タニちゃん、期待していますよ。
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交錯する二つ スカイステージ「なみだのでるうた」#1
2008年7月6日 SORAの世界〜観劇〜Takarazuka SKYSATEGE「なみだのでるうた」#1〜はじめのすぺしゃる・別れ〜 をじっくり鑑賞した。
テーマ「別れ」。
投稿した方が自分の身に起こった出来事をどうとらえてその後の人生に光を見出して行ったか、
短い朗読の中に感じることができて何度も涙ぐんでしまった。
別れは光を探すきっかけなんだ。
悲しいことばかりじゃない、今生きている自分の周りにどれほどのときめきが溢れているか、それに気づくきっかけになるんだね。
……なんて簡単に言っていいものか迷うけれど皆さんの投稿に元気づけられました。
この場を借りてありがとう。
さて。
花組シンガーズの皆さん、お疲れさまでした!
「歌」に定評のあるメンバーが勢ぞろい、耳福ばかり。
手に汗握る30分でした…正直に。
普段メイクでスタジオ収録は大変でしょう。
「素」の自分が「歌」に出てはいけない、
わかっているけれど「入る」のは大変だと思う。
男役さんはとくに大変だ。
最後にメンバーそろって横一列で歌うのだけど、
男役芸がどれだけ身についているか一目瞭然。
まっすぐ立ってマイクを握る、
その姿にもろ男役芸の修練が出てしまう。
娘役さんも直立不動で歌っている。
「寄り添ってくれる」わけじゃない。
「男役さん」がすっと透けて「素の私」が
見えるのはやりにくいだろう。
今のわたしはオン?オフ?
変な葛藤があるかのもしれない。
宝塚メイクってなりきるためには必須なのだ。
短いトークの間は逆に安心できた。
娘役が一歩下がっているから。
控えめな微笑み、頷きなど「動き」が娘役さんしている。
並んで座っていても男役を立てる。
娘役の仕事の本領発揮の瞬間。
若いふみかクンとマメちゃんも心なしか緊張が抜けて
リラックスした笑顔が変にかっこいいの(褒め言葉褒め言葉)。
話している姿はやっぱり男役なんだわと安心した。
にしても
まっつの凛々しいこと。
歌声はもちろん、トークも低い声に艶があって良いのだわ。素敵!
目線も鋭くまさに男役。
歌う姿の男役ぶりもダントツ。安心して男役・未涼亜希に浸らせてくれる。
ときめいてしまったわ。
どうしましょ。
男役芸と娘役芸が交錯する不思議な映像だった。
「男役芸」に戸惑いのないまっつはひたすらりりしい。
「素」を引っ込めようとするふみか&マメの格闘が可愛い。
娘役さんの立ち姿をキープしながらきれいな声を聴かせる一花ちゃんさあやちゃんには脱帽だ。
発声には不利だろうに全身で娘役している一花ちゃんに拍手喝采、さあやちゃんの緊張ぶりがいじらしい。
でも全員の「歌のこころ」を届けたいというメンバーの思いが綺麗だった。
テーマ「別れ」。
投稿した方が自分の身に起こった出来事をどうとらえてその後の人生に光を見出して行ったか、
短い朗読の中に感じることができて何度も涙ぐんでしまった。
別れは光を探すきっかけなんだ。
悲しいことばかりじゃない、今生きている自分の周りにどれほどのときめきが溢れているか、それに気づくきっかけになるんだね。
……なんて簡単に言っていいものか迷うけれど皆さんの投稿に元気づけられました。
この場を借りてありがとう。
さて。
花組シンガーズの皆さん、お疲れさまでした!
「歌」に定評のあるメンバーが勢ぞろい、耳福ばかり。
手に汗握る30分でした…正直に。
普段メイクでスタジオ収録は大変でしょう。
「素」の自分が「歌」に出てはいけない、
わかっているけれど「入る」のは大変だと思う。
男役さんはとくに大変だ。
最後にメンバーそろって横一列で歌うのだけど、
男役芸がどれだけ身についているか一目瞭然。
まっすぐ立ってマイクを握る、
その姿にもろ男役芸の修練が出てしまう。
娘役さんも直立不動で歌っている。
「寄り添ってくれる」わけじゃない。
「男役さん」がすっと透けて「素の私」が
見えるのはやりにくいだろう。
今のわたしはオン?オフ?
変な葛藤があるかのもしれない。
宝塚メイクってなりきるためには必須なのだ。
短いトークの間は逆に安心できた。
娘役が一歩下がっているから。
控えめな微笑み、頷きなど「動き」が娘役さんしている。
並んで座っていても男役を立てる。
娘役の仕事の本領発揮の瞬間。
若いふみかクンとマメちゃんも心なしか緊張が抜けて
リラックスした笑顔が変にかっこいいの(褒め言葉褒め言葉)。
話している姿はやっぱり男役なんだわと安心した。
にしても
まっつの凛々しいこと。
歌声はもちろん、トークも低い声に艶があって良いのだわ。素敵!
目線も鋭くまさに男役。
歌う姿の男役ぶりもダントツ。安心して男役・未涼亜希に浸らせてくれる。
ときめいてしまったわ。
どうしましょ。
男役芸と娘役芸が交錯する不思議な映像だった。
「男役芸」に戸惑いのないまっつはひたすらりりしい。
「素」を引っ込めようとするふみか&マメの格闘が可愛い。
娘役さんの立ち姿をキープしながらきれいな声を聴かせる一花ちゃんさあやちゃんには脱帽だ。
発声には不利だろうに全身で娘役している一花ちゃんに拍手喝采、さあやちゃんの緊張ぶりがいじらしい。
でも全員の「歌のこころ」を届けたいというメンバーの思いが綺麗だった。
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昌也ちゃん、おかあさんはこんな子に育てた覚えはありませんよっ
昌也ちゃん=石田昌也先生 です。
うだるような暑さのなか、わたくし「昭和レトロな掛け時計」を買ってまいりました。
寿命を迎えたアンティーク調掛け時計の代わりを探しに○急ハンズに。
前のアンティーク調はどこかヨーロピアン、
イギリスの片田舎が似合いそうな風情だったけれど
今回のはずばり昭和レトロの味が美味しゅうございます。
店頭では「アンティーク調掛け時計」と書いてあるんですが
焼けて変色した文字盤に
虫食いのあとがあるフレーム。
これ「昭和レトロ」でしょう!
お値段も安いし珍しいし面白いから、ま・いっか!
何より築何十年の我が家にはぴったりでした。
昭和レトロ調掛け時計をセットし、
くるっと振り向いてパソコンを開ける、
「銀ちゃんの恋」もばっちり昭和よね、
平成調になったらいやーよ、
などとご満悦で公式を開けてしまったら大変でした。
昭和は昭和だけどそっちに行かなくてもポスターがどどんとアップされてるっ!
ハエたたきを担いでサマになっていますよ、大空さん。
どういうことーっこれ!
ハエたたきにしてはキレイすぎるところが宝塚しているんだけど、
それでもワープぶりでは近年まれに見る飛び方だと思う。
石田先生の世界ですか。ノリですか。そーですか。
いっそ○ースレッドの殺虫剤も置いて欲しかったわ。
「耽美」だの「アンニュイ」だの「クール・ビューティ」だのさまざまな「美形単語」で語られる大空祐飛さんにここまでやらせるその心意気に拍手。
ノリノリに見える大空さんもステキで素晴らしい。
ポスター撮影って撮影していますよね?
発売DVDに収録ですよね?
「こんな感じ?」
ってハエたたき担ぐ大空さん見れますよね?
広がる妄想郷。ああ楽しい。
開いたとたん、石田先生に一瞬冒頭の文句を吐いてしましましたが、
そのあとずーっと大笑い。
肩の震えを止めるのに苦労したぞ。
突き抜け感が素晴らしいです。
ちゃぶ台やすすけた壁紙、
破れたふすまが見えそうな舞台がわれわれを待っているんだわー
わーん楽しいー!
追記で。
「銀ちゃんの恋」を「銀恋」と略す方がもしいらっしゃったら。
われわれおばさん世代やさらにその上の世代は
「銀座の恋の物語」
を連想してしまいます。
何それと首をかしげたお若い世代の方は検索なさってみてください。
もしくはお父さん世代に聞いてみましょう。
マイクを2本用意してカラオケでリクエストするのもありです。
昌也ちゃん=石田昌也先生 です。
うだるような暑さのなか、わたくし「昭和レトロな掛け時計」を買ってまいりました。
寿命を迎えたアンティーク調掛け時計の代わりを探しに○急ハンズに。
前のアンティーク調はどこかヨーロピアン、
イギリスの片田舎が似合いそうな風情だったけれど
今回のはずばり昭和レトロの味が美味しゅうございます。
店頭では「アンティーク調掛け時計」と書いてあるんですが
焼けて変色した文字盤に
虫食いのあとがあるフレーム。
これ「昭和レトロ」でしょう!
お値段も安いし珍しいし面白いから、ま・いっか!
何より築何十年の我が家にはぴったりでした。
昭和レトロ調掛け時計をセットし、
くるっと振り向いてパソコンを開ける、
「銀ちゃんの恋」もばっちり昭和よね、
平成調になったらいやーよ、
などとご満悦で公式を開けてしまったら大変でした。
昭和は昭和だけどそっちに行かなくてもポスターがどどんとアップされてるっ!
ハエたたきを担いでサマになっていますよ、大空さん。
どういうことーっこれ!
ハエたたきにしてはキレイすぎるところが宝塚しているんだけど、
それでもワープぶりでは近年まれに見る飛び方だと思う。
石田先生の世界ですか。ノリですか。そーですか。
いっそ○ースレッドの殺虫剤も置いて欲しかったわ。
「耽美」だの「アンニュイ」だの「クール・ビューティ」だのさまざまな「美形単語」で語られる大空祐飛さんにここまでやらせるその心意気に拍手。
ノリノリに見える大空さんもステキで素晴らしい。
ポスター撮影って撮影していますよね?
発売DVDに収録ですよね?
「こんな感じ?」
ってハエたたき担ぐ大空さん見れますよね?
広がる妄想郷。ああ楽しい。
開いたとたん、石田先生に一瞬冒頭の文句を吐いてしましましたが、
そのあとずーっと大笑い。
肩の震えを止めるのに苦労したぞ。
突き抜け感が素晴らしいです。
ちゃぶ台やすすけた壁紙、
破れたふすまが見えそうな舞台がわれわれを待っているんだわー
わーん楽しいー!
追記で。
「銀ちゃんの恋」を「銀恋」と略す方がもしいらっしゃったら。
われわれおばさん世代やさらにその上の世代は
「銀座の恋の物語」
を連想してしまいます。
何それと首をかしげたお若い世代の方は検索なさってみてください。
もしくはお父さん世代に聞いてみましょう。
マイクを2本用意してカラオケでリクエストするのもありです。
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