久しぶりにインド映画を見に、名古屋シネマスコーレhttp://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/home.htmに出かけた。

インド映画というと1997年日本公開「ムトゥ 踊るマハラジャ」を連想する方もいらっしゃるだろう。
南インド生まれの陽気で真摯なエネルギーに満ちた「ムトゥ」は娯楽映画の傑作だと思うが、今回見たのは北部ムンバイ(旧名ボンベイ)を中心とした映画王国通称ボリウッドから生まれた2作。
洗練された味わいがあるのが北インド映画だ。

いずれも主役は超スーパースターシャー・ルク・カーン。
日本語字幕つき、インド国外でも評価の高い傑作映画3つが相次いで上演ときたら、
レイトショーだろうが駆けつけるよ、毎日でも。

宝塚との共通項がたっぷりある。インド映画は素晴らしい。

古代のインド文明の頃からインドの「物語」には歌謡がつきもの。
演劇から映画へ、娯楽の変遷はあれど「歌や踊り」は切っても切れない重要ファクターだそうだ。
街中で今出合ったばかりの男女がいきなり歌って踊り出すのは宝塚の専売特許にあらず。
インド「映画」は街中を飛び越えて一挙にヒマラヤの山奥だの天空の街マチュピチュだの「時空を越えたミュージカルシーン」が「当たり前」の顔をしてやってくる。
若い男女も渋いおじさまおばさま、おばあさま、そのまたおばあさまだって一緒に踊る。
時には牛や象も「エキストラ」の顔をして一緒に踊り出す。
「どうもミュージカルってさあ…」
苦笑いをしてヅカや東宝ミュージカルを敬遠する輩はどうぞインド映画の世界に放り込まれてほしい。

「歌う踊る」ってことがどれほど人間の本能と結びついているか。
インド映画は宝塚以上の説得力を持つ。

前置きが長くなったが、わたしが観たのはシャー・ルク・カーン主演の
DON 過去を消された男
家族の四季 愛すれど遠く離れて
の2本。
http://www.pan-dora.co.jp/bollywood/index.html


大スクリーンで見る機会は滅多にないので感想を記しておく。

■ DON 過去を消された男(2006年)

<あらすじ>クアラルンプールを根城に暗躍するインド系マフィアの若手トップのひとりドン。国際的犯罪組織の中でのし上がってきた彼を国際警察デシルバ警視が執拗に追い詰める。警視がしかけた巧妙な罠にかかったドンは手傷を負い意識を失っていく…。
うって変わってここはクアラルンプールの街中。インドの神を讃える盛大な祭りの群れの中、デシルバ警視は一人の男のもとを訪れる。
「僕に何か用ですか」
警視を迎えた男の顔はドンそのひとと瓜二つだった……。


シャー・ルクの切れのいいアクションと縦横無尽な演技力が光る痛快サスペンス・アクションもの。どんでん返しにつぐどんでん返し、最後の最後まで「しかけ」が読めなかったのは快感以外の何ものでもない。
ストーリー展開のテンポの良さにシャー・ルクの巧みなコメディセンスが上手く溶け合って、見る側を決して飽きさせない。
ミス・ワールド出身の美女ヒロインも自らアクションシーンをこなし、極上のスパイスと化す。
南インド女優の豊満な美しさとは異なり、北インド女優のそれは引き締まったスーパーモデル級の抜群にまず目を見張る。それが自由自在にしなやかに、華やかに歌い踊り「女神降臨」とはかくやのごとく光の粉を撒き散らす。
何てことのない薄いキャミドレスもヒロイン女優がまとうだけでゴージャスなドレスに見える。
警視と手を結んでドンを追い詰めるはずのヒロインがまさかの大逆転の憂き目に遭うシーンでは「なぜ神は彼女を見捨てたもうたか!」と天を仰いだ。
魅力的なヒロインを実は手玉にとっていた主役ドンこそ、
もっとも「神に愛された男」と映ってしまうのが何とも憎たらしい。
「悪魔と契約を結んだ男」とはこれほど魅惑的なのか。

長時間のサスペンスだが、まったく飽きない。お色気シーンは音楽とダンスで上品に仕上げてあり、殿方がレディを誘って鑑賞しても引っぱたかれないこと請け合いの上質映画だ。


■ 家族の四季 愛すれど遠く離れて(2001年)

<あらすじ>大富豪のラーイチャンドとその妻は長く子供に恵まれず、養子を迎えて大切に育ててきた。彼らの母親たちも実の孫同様に彼を可愛がり、ラーイチャンド一家は息子を中心に幸せに暮らしていた。10年後、夫婦には実子が誕生。だが、先に育てた養子はわが子以上の存在、二人は実の兄弟として育てられる。
月日は経ち、年の離れた兄弟は仲良く成長していた。ある日兄は市中で乱暴だが気立てのいい娘を見初める。世間知らずのお坊ちゃまと娘は相手にしなかったが、彼の純粋な心に次第に惹かれていく。だが「身分の差」が二人を大きく隔ててしまう。
わが子同様に愛し育ててきた長男の「裏切り」にラーイチャンドは烈火のごとく怒る。
「我が家の伝統、しきたり、誇り。あの娘にそれが理解できると思うのか!」
父の言葉の重みに耐え一度は別れを決意する長男だが、愛する人を残して去ることはできなかった。
「もうお前は息子ではない」
冷たく突き放し背を向けた父に静かに別れを告げる長男。泣いて兄を引き止める次男、そして「子供たち」の別れに身を裂く思いで泣き崩れる母と祖母たち…。
月日は経ち、弟はロンドンの大学院に進んでいた。インドを去り、愛する人と旅立って行った兄がこの街に住んでいると言う。
必死の捜索が実り、弟は兄嫁の妹と再会、兄夫婦には内緒でその家に居候することに成功。
あとは父と母をインドから呼び寄せるだけだった…。



この映画の最大に見所はずばりキャストの豪華さだ。北インド映画界に疎いわたしだが、ラーイチャンド夫妻、二人の兄弟、兄弟の恋人たちを演じる3俳優3女優の美しさ、押し出しの強さと演技力、ダンス力の素晴らしさは「感覚で理解できる」。
まずラーイチャンド役のアミターブ・バッチャンの威厳と押し出しの強さがずば抜けて大きい。
「皇帝」の異名を取るのもわかるー何だろうこの方。
生まれながらの「英雄」がそこにいるという…圧倒的な存在感にただもう口あんぐり。
日本にこういう俳優はかつていたのかしら。
190センチという長身に見事な体格、低くさえ渡る美声、そしてあの地獄の底を思わせるかのような眼。
オスカル様じゃないけれど「あれは帝王の目だ」と言いたくもなる。
こういう俳優を生むインドの底力に脱帽。

主役はシャー・ルク演じる長男だが、実質上の主役はアミターブ演じる父と、兄を探し回るいたいけな弟のリティク・ローシャンだ。
父の傲慢さに懸命に抵抗する繊細で寂しがりやの弟の対決は涙なくしては見られない。
身分の壁という日本には馴染みがたい世界を、豪快な中に繊細さを共存させたアミターブの心をえぐる演技と、純粋がゆえに力を持つリティク・ローシャンの憂いをおびた瞳が理屈を越えて語りかける。

父に殴られながらも、兄に拒絶されながらも

「兄さん、家に戻って。僕に家族を返して」

健気に家族を一つにしようと奔走する弟、
そして「わが子たちをもう一度ひとつに」しようと結婚以来初めて夫を批難する妻、
ジャイヤー・バッチャンの名演技が光る。

実生活でもアミターブの妻だという名女優ジャイヤーの抑えた演技に何度もハンカチを握り締めた。
往年の大女優が白髪混じりで艶も失った髪もそのまま、年老いて息子との確執に苦しみ抜く夫をさらに鞭打つべく「告白」する場面は心をえぐる。

「わたしは夫は神だと教えられた。
だけどあなたは神じゃなかった。
わたしの夫はただの夫。神じゃない」

妻の言葉を大きな背中で聞く夫の苦悩がスクリーンを通り越して滲み出る。

「僕を許さないでください」
再会もつかの間もう一度去ろうとする長男を抱きとめて

「わたしがお前を許さないわけがない。
お前を愛さないはずはない。
お前はわたしの息子だからだ」

自分の罪を悔いる父の不器用さ、いじらしさには、誇り高く尊大な大富豪が最後にたどり着いた真実が宿っていた。
血を越えた「家族の絆」を名俳優たちが丁寧に丁寧に描きあげた名作。

ミュージカルシーンの痛快さとスケールの大きさも映画ならでは。
大俳優アミターブ・バッチャンを筆頭に華やかに歌い踊る大邸宅の大パーティとほぼ時を同じくして下町で繰り広げられるヒロイン姉妹の父親の誕生祝いという対比も味わい深い。
ロンドンに場を移しての弟のリティク・ローシャンのしなやかでダイナミックなダンス力には役柄とのギャップに拍手喝采。
ものすごいダンス力。

残念だったのは若い女優さんの露出。
ヒロインの妹の過剰なお色気ダンスに萎えた。
はっきり言うとこの女優さん、セクシーにやろうとすればするほど滑るタイプ…その前にメイクを見直そう…。

真面目で頭の固い青年を色気で虜にしようとして盛大に滑っている。完全な計算間違い。演技力で場をさらってしまう先輩名女優二人に若い彼女が拮抗するにはこれぐらいのしかけが必要なのかもしれないが、しおらしい場面のほうがよっぽど魅力的だった。
若いからお色気ダンスをふだんに見せるのだろうが、慎ましやかな令嬢とか、貞淑な若妻、インテリジェンスのある人なので真面目な女医さんなども似合いそう。


親子で一緒に笑い歌えることほど幸せなことはない。
ミュージカルシーンの素晴らしさも作品のテーマを鮮やかに歌っていて、思い出すたびに心に迫るものがある。

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