ディアンヌちゃん登場、その役割は

お兄さんあとは任せたわ
だと思う。
破綻につぐ破綻、起承転結がいちいち横槍でぶつきりにされた壮大なストーリーの最後はまとランに任されました。

はい。

「収集つかなくって悪いけど最後は君の力技でなんとかしてくれ」を
受けて立つのが宝塚の主演、トップスター様のつとめですから。

この世界で男役で主演を張るってことはすなわち 宝塚の十字架を背負わされるということ。
最後に渡されたバトンがどんなに重くて痛くて投げ出したくなっても、ゴールテープを切るのは自分。

孤独なランナー。
それがトップスター(もうそれぐらいに)。



さて。

ディアンヌちゃん登場もこれが最後かと思った瞬間、
わたしは隣の後輩ちゃんを見てしまいました。

台詞聞き取れる?
初タカラヅカには酷だったなあ…
ディアンヌちゃんをはじめ娘役の声は概ね割れていました。
反響がすごかった。
うわんうわん回っちゃって。

個人的に、桜乃さんの声質は苦手ではありません。
あの声質は娘役に求められる「可憐さや柔らかさ」に満ちている。
だからこそ彼女が主演娘役に選ばれたと思うし品のよさを引き立てる声質だ。

ただ「台詞回し」は別のスキルで、「ら行」「さ行」は苦手、よね?
一番苦手なのは「さ行」かな?
両方が入ってくるとその部分だけスピードがあがり「言葉の切れ目」がおかしくなる。
舌足らずな役なんて滅多に回らないので、ヒロインとしては苦労していると思う。

だけどここは全国ツアー会場。
いつも以上に「台詞回し」はハンデが高い……。
彩音ちゃんが可憐で歌っていれば問題なし(高音に厚みがでてきた)なんだけど
こと「台詞」になると観るほうも肩に力が入るのは「聞き取れない」ことへの条件反射。
開演から終演までこの繰りかえしで膨大な「台詞の嵐」。正直ディアンヌの台詞には参りました。

彼女個人がかもしだすオーラは「亡霊のそれ」と微笑むぐらいの余裕はあったけれど。

同じことは「面会に来たマドモワゼルたち」にも言えて、
まとラン×ナポレオンの公開討論会以上に大変だった。


娘役は総じて「高い音域」で声を造る。
生身の女性が演じる男役との対比を造る上で、これは仕方がないことだ。
だけど高い音ほど聞き取り辛い のは人間の構造上の大前提で。
その「娘役声」で大人数が入れ替わり立ち替わり
「オスカル様への哀願」を繰り広げるのは悲哀を通り越して修羅場でした。

泣き喚きながらの説明台詞は全国ツアーでやるべきじゃない。
ぐわんぐわん音の弾が飛んでくる。
あっちからもこっちからも観客めがけて飛んでくるわけのわからない叫び声。

その中で<フランスの窮状>も訴えるってどこまでハードル高いのか。

音響さんたちも大変です。
毎回毎回会場が変わって、マイクの設定位置から音響や音質の調整をどんなにやっても限られた時間じゃ間に合わないこともあるだろう。
「借りた時間」ですべてをまかなうのだから。

何も大劇場や東宝と同じクオリティを求めているわけじゃない。
ハンデが大きすぎると言うことを考慮にいれる必要はなかったのか。

カメラが入っていたから近い将来「CS放送」で「花組ベルサイユのばらアラン編」を「見る」ことはできるだろう。
だけどそれは「マイクから直接取り込んだ台詞」であってわたしたちが会場で耳にしたそれではない。

男役の声は総じて聞き取れたしやっぱり「高い声」には難しい会場だったと思う。
一花ちゃんが低めの声で話し出すあたりは問題なかった。

わたしのような宝塚・東京の両方に遠いものにとっては
「近くに来てくれる」ツアーは「女神降臨」のようなもので企画してくれるだけでもありがたいこと。
だからこそ苦労だけを声高に指摘するのはしてはいけないと思うけれど
こうした点にもし配慮が行く余裕があるのなら、
「脚本演出」の時点で「配慮」があったら嬉しい。

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