志を果たさず散るけれど 花組「ベルサイユのばらアラン編」3
2008年10月18日 SORAの世界〜観劇〜素敵に大爆笑、されどあてがきはできるぜ植田演出「ベルサイユのばらアラン編」。
褒めてます。
けっこうわたし、植田先生見直しました。
脚本はそうとうアレです。
論理的に破綻しまくりで、大筋から末端までめちゃくちゃです。
最たる人がディアンヌちゃんで地縛霊を差し引いても宝塚史上最強の恐ろしいヒロインです。
何が怖いと言って
実の兄が自分を振り向いてくれないから自殺した、それが今ではいつもそばにいられて幸せと言い切る女です。
どこの世界に自分に失恋した女の怨霊に付きまとわれて幸せな男がいるでしょうか。
潔く成仏して綺麗な魂に生まれ変わるのが愛する人へのせめてもの償いだと
神の御心を説いてもディアンヌちゃんの耳には届きません。無駄でしょう。
近親相姦という単語がディアンヌ辞典にないのは明白ですもちろん。
もっとも、
「お前の苦しみに気がつかなかった俺はなんて不甲斐ないんだ、兄さんを許してくれ」
別世界にいるとはいえ見事なきりかえしをする兄も兄。
ソワソン家のDNAは宇宙規模なのです。
わたしがかつてあらすじの段階で抵抗して観にいくことすら拒否した
「オスカル(とディアンヌ)編」なんて可愛いものでした。
上には上がある、さすが植田脚本。
「アラン編」のアランは何もしません。
オスカルに出会い一目惚れしたのを認めるのが悔しくて暴れるだけ暴れて(無理やりキスもその一片)ようやく「愛する人」の隣に立つのにふさわしい男になったときには自称スゴ腕男にあっさり殺される話です。
しかしです。
10年の長い年月、祖国の動乱には彼にも非情な修練につぐ修練の日々だったんだろうな
と思わせる まとランのやさぐれ色男ぶりはどうでしょう。
それだけで「ごはんおかわりください」です。
はい。
もう何もいりません。
時間のワープのたびにコクを増すまとランのかっこよさは必見です、必見。
この人は黒い役が似合います。
ガタイがとくべつ秀でているわけじゃない。
どちらかというと、肩のラインは曲線の柔らかさがなまめかしいタイプ。
だけど「黒い人物像」にスイッチがはいったとたん俄然がっしり大きく凛々しくなるのだから恐ろしい。
舞台はセンターに立つ人にこれがあると面白い。
キラキラきらり~んいつも同じクオリティで北斗七星光線を放つより
得手不得手に波がある人ほどストライクゾーンにバシ!っと入ったときの快感は大きい。
幕開きに 廃墟にひとり佇む片腕の将軍まとランを持ってきたのは植田先生の演出の勝利だと思う。
いやイロイロ批判の多い先生だけど、生徒の持ち味はわかっている人だと思います。
これをこの生徒にやらせたら面白くなるだろうなーという方向はいつも頷ける。
演出の手腕は別物だから滑って転んで大怪我という作品も多々あり、
それでも「俺の目は曇っていない」と進む姿は見事だと思う(皮肉にあらず)。
植田賛辞はこのぐらいにしてまとランの話に戻そう。
「アランの活躍」はひたすら「市中のひとびと」の説明台詞ですまされ、
唯一のアランの直接行動がナポレオンとのトークバトル というのがなんとも…
主役の直接行動が「公開討論会」ってこれアメリカ大統領選ですか。
軍服で片腕でザンバラ黒髪なんともエロティックなまとランが
目の下のクマがすでに黄泉のトート閣下している組長ナポレオンと
えんえんえんえん
「あなたはフランスに君臨するつもりか」
「下がりたまえ」
台詞の交わしあいを繰り返すのです。
これが最大の見せ場だよーアランベル。
主役を打ち負かす「ナポレオン」がいかに恐ろしく手強い敵なのか
人物描写はすべてナポレオンの自己申告とデスマズの報告で描かれます。
幼い頃目を輝かせて読んだ童話絵本「森には魔女が住んでいました。魔女は魔法で村のひとたちを苦しめていました」と書いてあった。
いたいけな真っ白なこどもだったわたしやがっこうのおともだちはみんな
「魔女は悪くて強いんだ」
と納得しましたよ確か。何の疑問もつっこみもなく。
まさか幼稚園から小学校低学年向けの手法を持ってくるとは。おそるべし植…いいよもう。
さらにはまとランあっさり退却。
え?いいの、あなた。帰っていいの?
猛烈な眠気に襲われてすっかり「この10年のフランスとわたしたち」を聞き逃していたわたしは慌てて飛び起き、挙句の果てにちょっと待て!まとランを追いかけたくなりました。
くどいようですがこれが最大の見せ場そして物語の「転」です。
クライマックスへの盛り上がりが公開討論会て……フランス史に相当詳しくないとついていけない。
それって劇作としてはマナー違反でしょ。
と怒ってすっかり目が覚めたのですが…
怒りはすぐに吹っ飛びました。
自分が可愛い以外何の個性も見い出せないヒロインディアンヌがやっぱり登場、
すっかり意気消沈した兄に迫ります。
褒めてます。
けっこうわたし、植田先生見直しました。
脚本はそうとうアレです。
論理的に破綻しまくりで、大筋から末端までめちゃくちゃです。
最たる人がディアンヌちゃんで地縛霊を差し引いても宝塚史上最強の恐ろしいヒロインです。
何が怖いと言って
実の兄が自分を振り向いてくれないから自殺した、それが今ではいつもそばにいられて幸せと言い切る女です。
どこの世界に自分に失恋した女の怨霊に付きまとわれて幸せな男がいるでしょうか。
潔く成仏して綺麗な魂に生まれ変わるのが愛する人へのせめてもの償いだと
神の御心を説いてもディアンヌちゃんの耳には届きません。無駄でしょう。
近親相姦という単語がディアンヌ辞典にないのは明白ですもちろん。
もっとも、
「お前の苦しみに気がつかなかった俺はなんて不甲斐ないんだ、兄さんを許してくれ」
別世界にいるとはいえ見事なきりかえしをする兄も兄。
ソワソン家のDNAは宇宙規模なのです。
わたしがかつてあらすじの段階で抵抗して観にいくことすら拒否した
「オスカル(とディアンヌ)編」なんて可愛いものでした。
上には上がある、さすが植田脚本。
「アラン編」のアランは何もしません。
オスカルに出会い一目惚れしたのを認めるのが悔しくて暴れるだけ暴れて(無理やりキスもその一片)ようやく「愛する人」の隣に立つのにふさわしい男になったときには自称スゴ腕男にあっさり殺される話です。
しかしです。
10年の長い年月、祖国の動乱には彼にも非情な修練につぐ修練の日々だったんだろうな
と思わせる まとランのやさぐれ色男ぶりはどうでしょう。
それだけで「ごはんおかわりください」です。
はい。
もう何もいりません。
時間のワープのたびにコクを増すまとランのかっこよさは必見です、必見。
この人は黒い役が似合います。
ガタイがとくべつ秀でているわけじゃない。
どちらかというと、肩のラインは曲線の柔らかさがなまめかしいタイプ。
だけど「黒い人物像」にスイッチがはいったとたん俄然がっしり大きく凛々しくなるのだから恐ろしい。
舞台はセンターに立つ人にこれがあると面白い。
キラキラきらり~んいつも同じクオリティで北斗七星光線を放つより
得手不得手に波がある人ほどストライクゾーンにバシ!っと入ったときの快感は大きい。
幕開きに 廃墟にひとり佇む片腕の将軍まとランを持ってきたのは植田先生の演出の勝利だと思う。
いやイロイロ批判の多い先生だけど、生徒の持ち味はわかっている人だと思います。
これをこの生徒にやらせたら面白くなるだろうなーという方向はいつも頷ける。
演出の手腕は別物だから滑って転んで大怪我という作品も多々あり、
それでも「俺の目は曇っていない」と進む姿は見事だと思う(皮肉にあらず)。
植田賛辞はこのぐらいにしてまとランの話に戻そう。
「アランの活躍」はひたすら「市中のひとびと」の説明台詞ですまされ、
唯一のアランの直接行動がナポレオンとのトークバトル というのがなんとも…
主役の直接行動が「公開討論会」ってこれアメリカ大統領選ですか。
軍服で片腕でザンバラ黒髪なんともエロティックなまとランが
目の下のクマがすでに黄泉のトート閣下している組長ナポレオンと
えんえんえんえん
「あなたはフランスに君臨するつもりか」
「下がりたまえ」
台詞の交わしあいを繰り返すのです。
これが最大の見せ場だよーアランベル。
主役を打ち負かす「ナポレオン」がいかに恐ろしく手強い敵なのか
人物描写はすべてナポレオンの自己申告とデスマズの報告で描かれます。
幼い頃目を輝かせて読んだ童話絵本「森には魔女が住んでいました。魔女は魔法で村のひとたちを苦しめていました」と書いてあった。
いたいけな真っ白なこどもだったわたしやがっこうのおともだちはみんな
「魔女は悪くて強いんだ」
と納得しましたよ確か。何の疑問もつっこみもなく。
まさか幼稚園から小学校低学年向けの手法を持ってくるとは。おそるべし植…いいよもう。
さらにはまとランあっさり退却。
え?いいの、あなた。帰っていいの?
猛烈な眠気に襲われてすっかり「この10年のフランスとわたしたち」を聞き逃していたわたしは慌てて飛び起き、挙句の果てにちょっと待て!まとランを追いかけたくなりました。
くどいようですがこれが最大の見せ場そして物語の「転」です。
クライマックスへの盛り上がりが公開討論会て……フランス史に相当詳しくないとついていけない。
それって劇作としてはマナー違反でしょ。
と怒ってすっかり目が覚めたのですが…
怒りはすぐに吹っ飛びました。
自分が可愛い以外何の個性も見い出せないヒロインディアンヌがやっぱり登場、
すっかり意気消沈した兄に迫ります。
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