ご褒美ってのは嬉しいもんだな 2007年度賞授賞式
2008年7月7日2007年度賞授賞式を見た。
わたしはいまひとつ、劇団が公に認める年度賞の重さがよくわからない。
選出基準がわからないから判断ができないのだ。
正直言うと第一報を聞いたとき、どう反応していいものか迷ってしまった。
でも意味や重さがわからないのなら
「認めてもらえてよかったね」
素直に拍手を贈ればいいのだろう。
そう遠くない昔のこと、日本国民だったら誰でも知っている名作映画「寅さん」の渥美清さんがとある賞を受賞した。
それは彼の没後に贈られたもので、
生前贈られなかったことや作品の性格を慮ってか、
とあるシナリオライターさんだったか、
授賞式の場で「さくら」こと倍賞千恵子さんにこんな意見をぶつけた。
倍賞さんは故渥美さんの代わりに賞を受け取ったのだ。
「なぜ賞なんて受け取るんですか。お国が与えてやる賞なんて寅さんは喜ばないと思いますよ」と。
さくらさんは答えた。
「お兄ちゃんは<ご褒美ってのは、嬉しいもんだな。>
なんて言うんじゃないでしょうか」
ぐっと来た。
誌面で読んだとき、当のライターさんと同じぐらいわたしも穴があったら入りたかった。
「死んだあと国民栄誉賞を与えてやるの?
国ってそんなに偉いの?」
寅さんはすでに誰もが認める国民的人気キャラで、
渥美さんの功績をわざわざ国に認めてもらうまでもない。
みんなが認めて愛しているそれで十分だ。
俳優の死後、国が慌てて贈ることに何の意味があるんだろう?
渥美さんの死後に贈られたその賞を手放しで喜べなかったのだ。
お兄ちゃんもさくらさんも全然違うところで喜んでいる。
どうしてわたしはそこへ行けなかったのだろう…。
今でも「評価」をどう取るべきか迷ったとき、思い出すやり取りである。
さて。
授賞式のメンバーにはさおたさん(努力賞)と祐飛さん(努力賞)の姿もあった。
なんと言ってもわたしはファンだから。
嬉しい嬉しい嬉しい。
わたしの大好きなお2人が「認められて」この場にいる。
それがどれぐらいの意味を持つかなんていい。
それより素直に寅さんになったほうが楽しいってもんだ。
ご褒美ってのは嬉しいもんだな。ねえ、さくらさん。
わたしはいまひとつ、劇団が公に認める年度賞の重さがよくわからない。
選出基準がわからないから判断ができないのだ。
正直言うと第一報を聞いたとき、どう反応していいものか迷ってしまった。
でも意味や重さがわからないのなら
「認めてもらえてよかったね」
素直に拍手を贈ればいいのだろう。
そう遠くない昔のこと、日本国民だったら誰でも知っている名作映画「寅さん」の渥美清さんがとある賞を受賞した。
それは彼の没後に贈られたもので、
生前贈られなかったことや作品の性格を慮ってか、
とあるシナリオライターさんだったか、
授賞式の場で「さくら」こと倍賞千恵子さんにこんな意見をぶつけた。
倍賞さんは故渥美さんの代わりに賞を受け取ったのだ。
「なぜ賞なんて受け取るんですか。お国が与えてやる賞なんて寅さんは喜ばないと思いますよ」と。
さくらさんは答えた。
「お兄ちゃんは<ご褒美ってのは、嬉しいもんだな。>
なんて言うんじゃないでしょうか」
ぐっと来た。
誌面で読んだとき、当のライターさんと同じぐらいわたしも穴があったら入りたかった。
「死んだあと国民栄誉賞を与えてやるの?
国ってそんなに偉いの?」
寅さんはすでに誰もが認める国民的人気キャラで、
渥美さんの功績をわざわざ国に認めてもらうまでもない。
みんなが認めて愛しているそれで十分だ。
俳優の死後、国が慌てて贈ることに何の意味があるんだろう?
渥美さんの死後に贈られたその賞を手放しで喜べなかったのだ。
お兄ちゃんもさくらさんも全然違うところで喜んでいる。
どうしてわたしはそこへ行けなかったのだろう…。
今でも「評価」をどう取るべきか迷ったとき、思い出すやり取りである。
さて。
授賞式のメンバーにはさおたさん(努力賞)と祐飛さん(努力賞)の姿もあった。
なんと言ってもわたしはファンだから。
嬉しい嬉しい嬉しい。
わたしの大好きなお2人が「認められて」この場にいる。
それがどれぐらいの意味を持つかなんていい。
それより素直に寅さんになったほうが楽しいってもんだ。
ご褒美ってのは嬉しいもんだな。ねえ、さくらさん。
コメント