しまったあ!宙組梅田劇術劇場公演「雨に唄えば」星組大劇場公演「スカーレット・ピンパーネル」観劇の旅、もう一ひねりしておくべきでした。
日程のことです。もう一回転足りなかった。バウホール公演「殉情」一日違いで見そこないそう。残念。

再演を観ています。音響のよくないホールで、思い切り端だったけれど、佐助=絵麻緒ゆうさんに魂ごと連れていかれました。男の恋心に情感を漂わせる。縁あって、絵麻緒さんの舞台はサヨナラ公演まで欠かさず観ることができたけれど、わたしの中では舞台マナーがとてもいい人。共演者に対する敬意のようなものを感じる主演さんでした。サヨナラ公演までずっとその思いは変わらず…佐助はその究極にあるような役。

原作がある作品の中には何も宝塚色に染めなくても、と思った作品はいくつかある。感動的であればあるほどそのことに気づいた自分が寂しくて、プロデューサーの冒険心を恨んだことすらある。

谷崎潤一郎作、春琴抄。これほど宝塚化を歓迎した原作はわたしの中には他にありません。また、読み終わったとき、「解説ページ」がこんなにも救いと感じたことはなかった。

格調高い文体、色彩と音が迫ってくるような世界に佇んでいる幸せと同時に逃げても逃げても追いかけてくる一種の嫌悪感。佐助の人となりがわたしにはどうにも理解しがたくて、何度閉じてしまおうと思ったことか。

お琴への思慕に透けて見えるマゾヒニズム。どう、同調せよと…。

解説ページにそのとおり書いてあったわけではないけれど、ついて回った違和感に近い表現が走っているのを見たとき、ほっとしました。ああ、それでいいんだと。

原作を読みわたしと同じように感じた人は「殉情」観てほしいです。佐助の迷い、慟哭、さらにはお琴への怒りまでしっかり描かれているから。ほっとしますよ。あれだけ虐げられ、人間性まで踏みにじられたらまともな人間だったら「うらみつらみ」にのた打ち回りますって!

時代だけが社会だけが創ったとは言いがたいお琴との関係。それはお琴の持つ底知れぬ闇と毒の魔力。そこに堕ちてしまった佐助に、普通に恨み、悲鳴があっていいじゃないですか。それが谷崎文学への冒涜ではなく、オマージュであるとわたしは思いたいです。

あ〜やっぱり観ておくべきだな。宙組バウホール公演。

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