久しぶりの更新です。
12月に入って長期にわたり風邪に苦しみました。
はあ(ため息)。

今回は熱はたいしたことがなく(38度まで上がったがすぐ下がった)
大丈夫だとたかをくくって出社したり忘年会で騒いだのがたたって
約10日微熱がずーっと続きました。

自分では大丈夫だと思っていても、「まだ辛そう」真剣に顔を覗き込まれる。
午前中で限界を感じて正午を待たずに早退したことも。
微熱と侮るなかれ、インフルエンザとは別のしんどさがありました。反省。

そんな中、友の会のチケット運は微笑んだりそっぽ向かれたり。
文化祭が当たりました。
4公演しかない上にひとり1枚しかエントリーできません。
無事当たってほっ。友人に頼まれた分ですが自分のこと以上に嬉しい♪

花組東京公演「太王四神記」は思ったとおり平日昼公演は当たりました。
土日含む楽は当然ハズレよ、ほほほ…。
わたしにふさわしくセンターブロックの一番端で通路際という
大変美味しいお席が来ました。自分の観劇分はこれっきり、土日が当たったら東京の友人に見てもらおうと思ったのは甘かったようです。

となみちゃん退団が発表され、来年も変動の宝塚を感じました。
名古屋で再会した星組全国ツアーで
あすかちゃんが神々しかった話はすでに書いた。

わたしのすぐ前に座っていた「彼女に無理やり連れてこられた」感のイケメン君なんて、
あすかちゃんが出てくるたびにお隣の彼女のオペラを「貸せ」の繰り返し。
お芝居では時折天井を仰いでいたり、何度も腕組みしなおしたり
「初ヅカ」ゆえの照れなのかなーと、少々苦々しく思ったりしたんだが、
ショーが始まり「あすか姫」がセンターに立ったとたん、スイッチオン、オペラロック!
あすかちゃんの動きに合わせてすーっと彼のアタマも動くのだもの、わかりやすいったらありゃしない。
相当気に入ったと見える。

あと、彼が気に入った(らしい)のは男役の群舞。
プロローグのチャイナ・スーツのダンスでは、ぐーっと前のめりになって凝視しているのが後ろからよくわかる。
「吸い寄せられる」という言葉があれほどふさわしい光景をわたしは他に知らない。

「男役単体」になるとふっと集中が切れてしまうようで、お隣の彼女にオペラをぽい!と返すの。
そしてまた天井。いったい何が彼をそこまで照れさせるのかおばさんはインタビューしたくなった。

お隣の彼女がまた「とうこちゃんラブ」を絵に描いたような人で、
とうこ・あすかコンビだけの場面はなかなかオペラを離さない彼女のひじをつっつく彼という微笑ましい光景をわたしが後ろで愛でるという図があったのだ。

そんな微笑ましい思い出を終演後わたしは文豪あーちゃん相手にしゃべりまくった。

「カップルのオペラ奪い合い」にはあーちゃんも大笑い、おばさん同士
「お若い方は初々しゅうございますわねえホホホ」
とびきり美味しいお酒が進んだものだった。


いつかまた楽しい光景を見せてくださいね、きっとどこかでお会いできるでしょうから。


「それはそうと」おばさんトークは一区切りついたわたしたち。

「今日のすずみんどうだった?!」
「すずみん?すずみんオスカル?それをわたしに語らせたいの?アナタ!」

テーブル挟んであっちとこっち、お互いぐいっと一歩前進(頭が)

「すずみん最高~~っ!!!

お互い目に星を飛ばして叫びましたとさ。
「微笑みカップル」話は実は前座で、本当はこれを言いたくて言いたくてうずうずしたたのですわ…わたし。
対するあーちゃんも「その話をしたい」気満々だったわけで、
わたしたちは残りの時間の大半を「すずみんの素晴らしさ」をネタに幸せに舞い上がった。

梅田の初日でも感服したけれど、ツアーの日を追うごとに涼 紫央・絶好調に加速がついているのじゃないかしら…

何だろうあの輝き。
いや、わたしのご贔屓は花組の大空さんですよ、あーちゃんだって真のダーリンはベルナールでオスカルじゃない。
だけど二人してこれ以上ないほど舞い上がったのは涼 紫央・絶好調に酔いしれているのであって、各ダーリンのことは一時どこかへ収納。

初日からしてすずみんオスカルはかなりハイレベルだった。もちろん歴代と比べて求められる側面が違うから、昭和の初演から先日の花組アラン編までのオスカルと同じ次元で比べるつもりはない。

今回は「恋愛談」がない分、これまでの「誇張した女らしさ」を入れる必要もなかった。結果すっきりと凛々しいオスカルが「脚本の中に生まれ」すずみん自身がそこへ「品の良さとしなやかな情感」を取り入れたことによって「歴代屈指の素敵なオスカル」が誕生したわけだ。

植田先生にとっては誤算だったかもしれないけれど、
「誇張した女言葉」や「とってつけたようなシナ」はオスカルには必要ないのですよ。
そうした面を無理に取り入れるから時代と共に「今宵一夜」は難しくなる一方、
誰もあのシーンをご贔屓で観たいとは思わなくなる。

「しなやかさ」がある男役だったら、アンドレとの「今宵一夜」だってちゃんと「女」に見えるはずですよ。
今後のヅカばらにとって、すずみんオスカルの予想外の「凛々しい女らしさ」は収穫だったと思う。

とかなんとか、わたしとあーちゃんは「棚からボタモチ」ずすみんオスカル
にきゃーきゃー歓声を挙げ続けた。

もちろんショーでもすずみん絶好調でしたし。
プロローグのチャイナスーツから反則ですわ…
しいちゃんが二番手で抜けている分、すずみんが最前列でどこまでも持って行くの。
クールさとしなやかさが同居していて、まるで青い豹が踊っているみたい。

いろいろ問題のある「ネオ・ダンティズム!Ⅲ」だけど(何度もタイトルを「解説」するのは苦しい)、
すずみんの「どこまでも男役が好き!」という声が聞こえそうな舞台姿を観るだけでもおかわりもう一杯!状態でした。

とうこちゃんの濃さとコク、しいちゃんの押しの強さという「強烈な色の競演」に負けないだけのすずみんワールドに最後まで目が釘付けで。

わたしとあーちゃんは「ご贔屓さんもう少しおとなしくしていて」状態で語り続けたのであった。
宝塚友の会の花組大劇場「太王四神記」の結果は前に書いた。
再度触れたくなったのは何を隠そう星組大劇場抽選結果に盛大に凹んだせいだ。

1枚のカードで4公演までエントリーできる。
今回はトウコちゃんファンの友人のために3枠使用、残り1枠が自分用。
泣く子も黙るトップさんサヨナラ公演でそう簡単に当たったら怖いと思うのが普通だが、
結果は普通に3公演落選だった。

しょぼん。
ごめんなさいあーちゃん。何だか全然役に立ってない…。

「やるだけやったんだからいいのよ」
と励ましメールを送ってくれたあーちゃん。彼女も仲良く連敗だというのに何ていい人なんだろう。

自分の観劇日だけS席当選というのが追い討ちをかけるからまた凹む。

当たったことは嬉しいのです。それが旧A席エリアのS席というのが切ないと正直に言ってみる。
広くなったんですねえ、S席エリア。
改めて、「2009年からの座席表」を眺めるとその広大さに途方に暮れる。
あ~もっと細かく区分けしてくれないかしら。
この位置ならA席値段でしょーとぼやいてもS席はS席だ。

端っこ好きなので上手の最果ては問題ない。
だけどこれだけS席エリアの最後尾となると差額が惜しくなるのが不景気の時世というもの。

前回からわたしは「SS席」のエントリーをしなくなった。
どう頑張っても旧S席に11,000円は払えない。
かぶりつき願望もだんだん薄れていく。


前回の花組大劇場エントリーはラッキーだった。
実は念願の席を当てたのですよ。

一番リーズナブルで美味しいS席エリア最前列ド・センターを。
昔から「センター運」に恵まれず、よくてサブセンター、さもなければ思い切り端席だった。
おかげですっかり端席のまったり感に浸るようになれたんだけど(落ち着くから好き)、
さすがに友人たちが「センター」を次々と引き当てるのは羨ましかった。
わたしのカードは「センター」対象外だとひねくれてもいた。

「ふーん8列かあ。SS席の後ろの後ろの後ろ」
盛大に勘違いしたのも告白しておく。SS席の列数が増えたのもすっかり忘れていて。

2009年からの座席表をクリックするまで幸運には気がつきませんでした。
なんと言うかもう自分には縁のないエリアの夢の席だったから。
気がついてから飛び上がったのよ……。

花組で運を使い果たしたのかもしれない。
今年ももう12月だし欲を出してはいけないってことだろう。

と自分に言い聞かせながら凹んだ、星組抽選結果でした。
星組全国ツアーが名古屋に来た。
1日目の夜公演を観に、金山へ。

会場の中京大学文化市民会館オーロラホールはそれはもう巨大だった。
上は4階まである、1階の最後尾は31列と来た。
わたしの座ったところは後ろから数えたほうが早いあたりだが、
列間がけっこう広く取ってあるから余計舞台が遠く感じる。
膝をきつく曲げなくてもいいのは大助かりだけど、本当にもう舞台が遠かった。

そのおかげで、梅芸のときはけっこう前の方だったから、
「絵」の違いを楽しむことができた。
フレームアウトインをこうして楽しめるのもリピート観劇の醍醐味、
少し期間があいているから「舞台の熟成」も感じることができた。


お芝居「ベルサイユのばらベルナール編」はベルナール、オスカル以外の登場人物のキャラが立っていた。
初日はなんと言ってもベルナールが全体をひっぱりオスカルが別世界で神々しく輝いていた。
ようやく全体がひとつの世界に融合した感じ。
群舞の迫力も格段の進歩だし、舞台の熟成を観るのはやっぱり嬉しい。
ゴージャスな装丁の「外伝本」を一ページずつめくる、そんな面白さがあった。

ショー「ネオ・ダンディズム!Ⅲ」もだんぜん良くなっていた。
場面場面がくっきり「その色」に染め上がって、客席にどんどん迫ってくる。
たくさんのカップルが寄り添って踊る場面なんか、それぞれのアツアツ度が増してまあ羨ましいこと。
相手役をすっぽり包み込むしいちゃんの包容力やこの上なく優しくリードするすずみんのノーブルさにうっとり。
上手下手を見比べるだけでも忙しい。


だけど一番目を瞠らされたのはあすかちゃんの華やかさとしなやかさ、そして力強さ。
お芝居のちょこちょこロザリーの可愛らしさはどこへ置いてきたんだろう、
そこにいるのは光の粉を纏い優雅に自在に変化する神々しい女神だった。

トウコちゃんに寄り添う場面では「彼」の熱さ・鮮やかさを引き立てるよう、
時にクールに時に貞淑に、控えめながら計算されつくした「娘役芸」を見せる。
だけど単独でソロを歌う場面のあすかちゃんは一瞬で変貌する。

あすかちゃん自身が発光する光と、スポットライトのそれとが相乗効果を生み、
しなやかな舞台姿がぐぐーんと大きく見える。
巨大な会場が遠野あすかの光に満たされる恍惚感。
そのしなやかな光にいつまでも浸っていたい。酔っていたい。

なんて人だろう。
この人の「娘役」を観ることができて、わたしは何て幸せなんだろう。

もうすぐ彼女の「娘役」は終わりを告げる。
「娘役の遠野あすか」に会うことはできなくなる。
決意をしたからなのか、それともわたしが今まで気付かなかっただけなのか。

あと半年。半年なんだね。
そう思うと、ぞっとした。震えが走った。
今だけ。今だけなの。だから今を「ありがとう」と心の底から思って。


広いホールの真ん中で運命を見た。
忘れられない一瞬になるのだろう。女神が光の粉を纏い、そこにいた瞬間をわたしは絶対に忘れることはないだろう。


先日発表された2009年後半(の前半)ラインナップ。
不思議なほど気持ちに波が立たず、すとんと受け取る自分がいる。

花組ファンで大劇場にも東宝にも新幹線利用するエリアゆえ
またまた全国ツアーで近くを回ってくれることが本当に嬉しい。
もっともわたしのすぐ近くの会場って、思い切り出勤日と重なっていまして…
仕事は仕事だから無理してでも休みの日の会場を目指すことになるんだろう。

つい先日も中日劇場の宙組公演を観ませんか?と同僚に言われ、
お誘い日が見事出勤と重なったわたしは丁重に辞退をした。

うそ。

ジタバタした。シフト勤務なので誰かと上手く変わってもらえないか、相当頭を捻った。
そして辞退した。
同僚は公休日と重なっているそうだが、
ここで示し合わせて休んで観劇していいの?
「ふたりで示し合わせて観劇はちょっとねえ」
同僚も苦笑いで同意。
そんなものだ。
まあ別の公休日を探せばいい。


愚痴はこれぐらいにして、よかったなと思ったネタを。

花組「Red Hot Sea Ⅱ」が嬉しい。

え~あのショー好きなの?!
と突っ込まれると苦しい。
このブログでも初日観劇の衝撃をこわれた文章で書きなぐった。遠い目。
あの衝撃にまさる視覚破壊はこの先ないだろう。
色使いのセンスのなさは歴代一位だろう。

だけど今すとんと腑に落ちているのは主演のために書かれたショーだからだ。
宝塚ってやっぱり主演ありきだ。
主演が別の人と入れ替わったらそれだけでハンデになる。

と感じたのは実は先日の花組と星組の全国ツアー。
どちらもブログでショーの感想を書かないのはそのせいです。
幸いなことに、わたしは両ショーとも「オリジナル」を観劇していない。
画面を通して知っているだけだから、真実の観劇とは程遠い。

だから「はじめまして」をとても楽しみにしていた。
幕開きからワクワクして何が飛び出すんだろう!何が待っているんだろう!
本当に本当に息を呑んで幕が上がるのを待った。

だけど蓋を開けたら。
広がるのは違和感。これ、絶対別の人の企画でしょう。
このショーの中心にいるのは、この人じゃない。広がる違和感。

入れ替わって主演しているスターが「できていない」ということじゃない。
及第点は取っているしそれぞれのスターが独自に「見せ場」を作っていることも肌で感じる。
だけどそれはスターが実力で調整しているということで、

「この人には別の場面で真ん中で歌ってほしい」
「この人の良さはもっと別のところにある」
と思ってしまった。

「Red Hot Sea」はいろいろ、問題のあるショーだ。
衣装を変えるだけでもずいぶん良くなる、そんな大きな欠点を抱えたショーだ。
だけど真飛聖さんを真ん中に置いて創られたショーには違いなくて。
コミカルで楽しい「幽霊船」や「空飛ぶ棺おけ」で劇場中を満たした「真飛聖の味わい」がわたしは大好きだ。
今でももう一度観たい、あの世界に浸りたいと思う。
それは「彼」でしかかもし出せない色であり、その色で染め上げるべき場面だったからだ。

「新しい人による再演」を否定するわけじゃない。
わたしが言いたいのは作り手の「視点」の優しさだ。
この人を真ん中に置いて歌わせたい、踊らせたいという視点はまっすぐで力がある。
力の入れ具合が少々おかしな方向に行っているのは否めないが
それでも「Red Hot Sea」は真飛聖ありきだと作り手みんなが言っている世界が好きだ。

ショーほど作り手の感覚で様変わりするものはない。
芝居よりずっと「視点」が出てしまうからこそ、「その人」が再演するのが嬉しい。




化粧品は口コミで
久しぶりにメイクアップ商品の感想を書きます。


わたしは自他共に認めるメイク下手。
メイクでごまかしたいパーツは数々あれどどうしていいやらわからない。
だから口コミ情報に大変お世話になっている。

目の下のクマをごまかしたい・凹凸のなさもごまかしたい。

情報を集めた結果、
これはありがたい!助かりました!というのが以下の二つ。

SUQQUのアイリッドベース

宝塚OGのメイクアップアーティストCHIHARUさんブログ
http://yaplog.jp/chiharuaniki/daily/200811/13/
を拝見して早速チャレンジ。
SUQQUカウンターに行くのは初めてでしたがBAさんにブログの評判を話したところ
「そのブログのお話は初耳ですが、嬉しいですね!」
大変喜んでおられました。そして
「その使い方(ハイライト使用)も初耳です」
だそうな。早速わたしのお顔でハイライト使いに挑戦。

「あら、明るくなった!」
とは目尻から目の下にかけてブラシを動かしたとき。BAさん、明るくなったなったと大喜び。
早速わたしも手鏡で確認。あら本当。アイシャドーの発色だけでなく顔全体の明るさを引き立てる効果もあるようです。

さすがです、CHIHARUさん。


チャコットのメイクアップカラー602番
http://hide.shop-pro.jp/?pid=1267683

舞台衣装や専用メイクアップ用品のチャコットから出ているアイシャドー602番は
普段使いのノーズシャドーとしてもかなり有能です。
眉の先端から鼻筋にかけて、ぶわっと多めにかけても丁寧にのせても失敗しない。
自然に鼻筋が綺麗に高く見せてくれます。
おまけに安い!(1260円税込み)

朝つけてから夜まで化粧直しする必要もないほど持ちもいい。
すでに半年使っているものの、減りも少なく大変重宝しています。

久しぶりにインド映画を見に、名古屋シネマスコーレhttp://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/home.htmに出かけた。

インド映画というと1997年日本公開「ムトゥ 踊るマハラジャ」を連想する方もいらっしゃるだろう。
南インド生まれの陽気で真摯なエネルギーに満ちた「ムトゥ」は娯楽映画の傑作だと思うが、今回見たのは北部ムンバイ(旧名ボンベイ)を中心とした映画王国通称ボリウッドから生まれた2作。
洗練された味わいがあるのが北インド映画だ。

いずれも主役は超スーパースターシャー・ルク・カーン。
日本語字幕つき、インド国外でも評価の高い傑作映画3つが相次いで上演ときたら、
レイトショーだろうが駆けつけるよ、毎日でも。

宝塚との共通項がたっぷりある。インド映画は素晴らしい。

古代のインド文明の頃からインドの「物語」には歌謡がつきもの。
演劇から映画へ、娯楽の変遷はあれど「歌や踊り」は切っても切れない重要ファクターだそうだ。
街中で今出合ったばかりの男女がいきなり歌って踊り出すのは宝塚の専売特許にあらず。
インド「映画」は街中を飛び越えて一挙にヒマラヤの山奥だの天空の街マチュピチュだの「時空を越えたミュージカルシーン」が「当たり前」の顔をしてやってくる。
若い男女も渋いおじさまおばさま、おばあさま、そのまたおばあさまだって一緒に踊る。
時には牛や象も「エキストラ」の顔をして一緒に踊り出す。
「どうもミュージカルってさあ…」
苦笑いをしてヅカや東宝ミュージカルを敬遠する輩はどうぞインド映画の世界に放り込まれてほしい。

「歌う踊る」ってことがどれほど人間の本能と結びついているか。
インド映画は宝塚以上の説得力を持つ。

前置きが長くなったが、わたしが観たのはシャー・ルク・カーン主演の
DON 過去を消された男
家族の四季 愛すれど遠く離れて
の2本。
http://www.pan-dora.co.jp/bollywood/index.html


大スクリーンで見る機会は滅多にないので感想を記しておく。

■ DON 過去を消された男(2006年)

<あらすじ>クアラルンプールを根城に暗躍するインド系マフィアの若手トップのひとりドン。国際的犯罪組織の中でのし上がってきた彼を国際警察デシルバ警視が執拗に追い詰める。警視がしかけた巧妙な罠にかかったドンは手傷を負い意識を失っていく…。
うって変わってここはクアラルンプールの街中。インドの神を讃える盛大な祭りの群れの中、デシルバ警視は一人の男のもとを訪れる。
「僕に何か用ですか」
警視を迎えた男の顔はドンそのひとと瓜二つだった……。


シャー・ルクの切れのいいアクションと縦横無尽な演技力が光る痛快サスペンス・アクションもの。どんでん返しにつぐどんでん返し、最後の最後まで「しかけ」が読めなかったのは快感以外の何ものでもない。
ストーリー展開のテンポの良さにシャー・ルクの巧みなコメディセンスが上手く溶け合って、見る側を決して飽きさせない。
ミス・ワールド出身の美女ヒロインも自らアクションシーンをこなし、極上のスパイスと化す。
南インド女優の豊満な美しさとは異なり、北インド女優のそれは引き締まったスーパーモデル級の抜群にまず目を見張る。それが自由自在にしなやかに、華やかに歌い踊り「女神降臨」とはかくやのごとく光の粉を撒き散らす。
何てことのない薄いキャミドレスもヒロイン女優がまとうだけでゴージャスなドレスに見える。
警視と手を結んでドンを追い詰めるはずのヒロインがまさかの大逆転の憂き目に遭うシーンでは「なぜ神は彼女を見捨てたもうたか!」と天を仰いだ。
魅力的なヒロインを実は手玉にとっていた主役ドンこそ、
もっとも「神に愛された男」と映ってしまうのが何とも憎たらしい。
「悪魔と契約を結んだ男」とはこれほど魅惑的なのか。

長時間のサスペンスだが、まったく飽きない。お色気シーンは音楽とダンスで上品に仕上げてあり、殿方がレディを誘って鑑賞しても引っぱたかれないこと請け合いの上質映画だ。


■ 家族の四季 愛すれど遠く離れて(2001年)

<あらすじ>大富豪のラーイチャンドとその妻は長く子供に恵まれず、養子を迎えて大切に育ててきた。彼らの母親たちも実の孫同様に彼を可愛がり、ラーイチャンド一家は息子を中心に幸せに暮らしていた。10年後、夫婦には実子が誕生。だが、先に育てた養子はわが子以上の存在、二人は実の兄弟として育てられる。
月日は経ち、年の離れた兄弟は仲良く成長していた。ある日兄は市中で乱暴だが気立てのいい娘を見初める。世間知らずのお坊ちゃまと娘は相手にしなかったが、彼の純粋な心に次第に惹かれていく。だが「身分の差」が二人を大きく隔ててしまう。
わが子同様に愛し育ててきた長男の「裏切り」にラーイチャンドは烈火のごとく怒る。
「我が家の伝統、しきたり、誇り。あの娘にそれが理解できると思うのか!」
父の言葉の重みに耐え一度は別れを決意する長男だが、愛する人を残して去ることはできなかった。
「もうお前は息子ではない」
冷たく突き放し背を向けた父に静かに別れを告げる長男。泣いて兄を引き止める次男、そして「子供たち」の別れに身を裂く思いで泣き崩れる母と祖母たち…。
月日は経ち、弟はロンドンの大学院に進んでいた。インドを去り、愛する人と旅立って行った兄がこの街に住んでいると言う。
必死の捜索が実り、弟は兄嫁の妹と再会、兄夫婦には内緒でその家に居候することに成功。
あとは父と母をインドから呼び寄せるだけだった…。



この映画の最大に見所はずばりキャストの豪華さだ。北インド映画界に疎いわたしだが、ラーイチャンド夫妻、二人の兄弟、兄弟の恋人たちを演じる3俳優3女優の美しさ、押し出しの強さと演技力、ダンス力の素晴らしさは「感覚で理解できる」。
まずラーイチャンド役のアミターブ・バッチャンの威厳と押し出しの強さがずば抜けて大きい。
「皇帝」の異名を取るのもわかるー何だろうこの方。
生まれながらの「英雄」がそこにいるという…圧倒的な存在感にただもう口あんぐり。
日本にこういう俳優はかつていたのかしら。
190センチという長身に見事な体格、低くさえ渡る美声、そしてあの地獄の底を思わせるかのような眼。
オスカル様じゃないけれど「あれは帝王の目だ」と言いたくもなる。
こういう俳優を生むインドの底力に脱帽。

主役はシャー・ルク演じる長男だが、実質上の主役はアミターブ演じる父と、兄を探し回るいたいけな弟のリティク・ローシャンだ。
父の傲慢さに懸命に抵抗する繊細で寂しがりやの弟の対決は涙なくしては見られない。
身分の壁という日本には馴染みがたい世界を、豪快な中に繊細さを共存させたアミターブの心をえぐる演技と、純粋がゆえに力を持つリティク・ローシャンの憂いをおびた瞳が理屈を越えて語りかける。

父に殴られながらも、兄に拒絶されながらも

「兄さん、家に戻って。僕に家族を返して」

健気に家族を一つにしようと奔走する弟、
そして「わが子たちをもう一度ひとつに」しようと結婚以来初めて夫を批難する妻、
ジャイヤー・バッチャンの名演技が光る。

実生活でもアミターブの妻だという名女優ジャイヤーの抑えた演技に何度もハンカチを握り締めた。
往年の大女優が白髪混じりで艶も失った髪もそのまま、年老いて息子との確執に苦しみ抜く夫をさらに鞭打つべく「告白」する場面は心をえぐる。

「わたしは夫は神だと教えられた。
だけどあなたは神じゃなかった。
わたしの夫はただの夫。神じゃない」

妻の言葉を大きな背中で聞く夫の苦悩がスクリーンを通り越して滲み出る。

「僕を許さないでください」
再会もつかの間もう一度去ろうとする長男を抱きとめて

「わたしがお前を許さないわけがない。
お前を愛さないはずはない。
お前はわたしの息子だからだ」

自分の罪を悔いる父の不器用さ、いじらしさには、誇り高く尊大な大富豪が最後にたどり着いた真実が宿っていた。
血を越えた「家族の絆」を名俳優たちが丁寧に丁寧に描きあげた名作。

ミュージカルシーンの痛快さとスケールの大きさも映画ならでは。
大俳優アミターブ・バッチャンを筆頭に華やかに歌い踊る大邸宅の大パーティとほぼ時を同じくして下町で繰り広げられるヒロイン姉妹の父親の誕生祝いという対比も味わい深い。
ロンドンに場を移しての弟のリティク・ローシャンのしなやかでダイナミックなダンス力には役柄とのギャップに拍手喝采。
ものすごいダンス力。

残念だったのは若い女優さんの露出。
ヒロインの妹の過剰なお色気ダンスに萎えた。
はっきり言うとこの女優さん、セクシーにやろうとすればするほど滑るタイプ…その前にメイクを見直そう…。

真面目で頭の固い青年を色気で虜にしようとして盛大に滑っている。完全な計算間違い。演技力で場をさらってしまう先輩名女優二人に若い彼女が拮抗するにはこれぐらいのしかけが必要なのかもしれないが、しおらしい場面のほうがよっぽど魅力的だった。
若いからお色気ダンスをふだんに見せるのだろうが、慎ましやかな令嬢とか、貞淑な若妻、インテリジェンスのある人なので真面目な女医さんなども似合いそう。


親子で一緒に笑い歌えることほど幸せなことはない。
ミュージカルシーンの素晴らしさも作品のテーマを鮮やかに歌っていて、思い出すたびに心に迫るものがある。

花組集合日だった。退団発表はりせくん。
まだまだ女の子が抜け切れないベビーフェイス、フリルのブラウスが似合う可愛い彼。
これからぐっと引き締まって、丹精な顔立ちに精悍さが宿ったらさぞ素敵だろう、
そう思ったつい先日の花組全国ツアー。

まあくんと彼女がしのぎを削る勢いでぐんぐん成長して行くんだろう、
そんな楽しみが待っていると信じていたのに。
ターニングポイントがやってきていたんですね。りせくんの未来に幸多かれ。


太王四神記のメインを除く配役も発表された。

みわさん女役ですか…綺麗だけどいいのかしら。
男に専念させる時期じゃないかしら。老婆心ながら心配です。

壮くんは面白そうな役ですね!推定年齢3000歳。30世紀。人類の祖先のどのあたりと一緒に産声を挙げたんだろう。ああ楽しい。
でも魔力で若者に変身している?

太王四神記そのものがタムドクとプルキルの対決ものだと教えてくれた人がいた。
いいなあ。壮くんの壮大なドラマを期待。
また楽しく豪快な壮一帆に会えるのね?ね?小池先生よろしくお願いします。

銀ちゃんで男を挙げためおちゃんがプルキルに矢を放つって本当かしら。
大変美味しい役で、ドラマ好きな方は思い入れがあるそうだ。
三枚目の美形スターで押し出しが強くなった勢いのあるめおちゃん、もうひとつ殻を破れるといいなあ。

銀ちゃんと言えば実質上の主役ヤスで一世風靡のみつるくん。
ごめんなさい、どういう役がまだ情報がなくて。
でも彼も、銀ちゃんを経てスターオーラが増したばかりだからその勢いで舞台で暴れまわってほしい。
みつるくんと言えば、花組全国ツアー会場ですぐ近くのお席でした。
わたしの同伴が宝塚初心者で誰が誰やらさっぱりわからない状態でしたが、
客席に登場した銀ちゃんチームのうち、みつるくんのスターオーラに度肝を抜かれたそうな。
「あの子は絶対スターになる!輝きがチガウ。」
指差ししながら断言していましたよ。
うん、客席でもひときわ輝いていた。
可愛い女の子だけどしょってるスターが男役で。不思議なイキモノ。


そしてわたしの大切なまっつ様。

ごめんなさいごめんなさい。予習しますちゃんと。
ヒョンゴって何ですか。美味しい?

ああやっぱりドラマを観るべきかしら。
せっかく白紙の頭で舞台を観られるのだからできるだけ予習はしたくないけれど、どうましょうか。
今盛大に迷っています。

一度観て覚えきれる自信がないのですよ役名が。
韓国のネーミングはヨーロッパのそれよりはるかに難しい。
人名も料理も一緒くたになりそうで、ここだけは予習しておいた方がいいかもしれない。


大阪梅田界隈を歩いていたとき、偶然壁いっぱいに掲げられた『太王四神記』の大ポスターを発見した。
東梅田の地下だったと思う。

一緒に歩いていた人が先に見つけてくれて「色合いが渋くていいねえゆうひくん!」と指差し!

巨大な大空ホゲは藍と深紫の衣装にダークブルー系のアイメイクが…麗しゅうございました。

ホゲ像はポスターに見る限り、
月組時代の異色ショー「MAHOROBA」、あの妖しい美貌系に進むのかな?
だとしたらとーっても嬉しい。
わざわざ女装しなくてもそのまま男誘惑できそうでしたもの…
女装の大空さんは卒倒しそうなぐらいの美しさでしたが、
男の格好でも妙に色気があるから困るの、この方。
性的なそれじゃなくて…陰の色気。
引き込まれた抜け出せない底なし沼を見るような怖さを伴う色気。

「太王四神記」も当然舞台メイクは別物になるけれど、武将ですものねー、
大空祐飛さんには、ぜひぜひ獰猛な耽美系を追究して行ってもらいたい。


あやねちゃんキハはきつめのアジアンメイクが本当によく似合っている。
えんじ色のお衣装がまがまがしさをかもし出して、大ポスターの中でひときわ鋭い眼光をこちらに放っているのが恐ろしくて震えが来た。


ゆうくんタムドクは巨大化すると神々しさを増す。
なんかこう神がかった凛々しさですよ!
向こうに描かれている藍色は龍みたいだけど何だろう?
オーラというより日輪みたいで神秘的。
わたしはゆうくんのきゅ!と引き締まった口元に毎回ドキ、とするのですが今回も妙に艶かしくて大ポスター前で赤面してしまった。

友人たちとわいわい「星ベルばんざーい」など騒いだあとだっただけに、
いっきょに異次元に連れて行ってくれる迫力の大ポスターとの遭遇に度肝を抜かれた。
通常のポスターより大ポスターのほうがいい…と思った稀有な例。


明日は集合日。花組に移って二度目の集合日です。
最初のときは馴染めるのかなあ、どう使われるんだろう?
そればかり考えていたけれど、今回は大空さん限定じゃなくてあちこちに思いが飛んでしまう。
みんな可愛い花組子だから。
新しい人生を選んだ人の名を知るのは覚悟しているけれど、
できたらあまりやめてほしくない……。
外伝3部作はスピンオフのアラカルトだ。原作では脇を支えるキャラクターを主役に据え、新しいドラマを綴る。
主役が交替するということは、主要キャラの別の面を描くことも可能だから
原作に愛着が深ければ深いほどうまみが増す。

今回はオスカルの日常の顔が美味しい。
舞台化に際して必ず「描かねばならない」要素が公の顔と恋の顔であり、軍人の日常の顔はどうしても切られてしまう。

オスカルを必ず登場させるのはそれだけ手放し難い魅力の持ち主であり、
「ベルサイユのばら」の代名詞が彼女自身だからだ。

オスカルが登場するだけでそこに「ベルサイユのばら」が生まれる。
多くの観客を魅了するのは男装の麗人であるがゆえの美しさ・強さ・凛々しさ・女らしさ、その価値が大きいのはわかるが
原作が生まれて30年オスカルの不滅の人気の秘密がそこだけにあるわけではない。

ジャルジェ家の自室でのんびりとアンドレをからかい、姪のル・ルーにからかわれ真っ赤になったりする、
いわばオフのオスカルが実は大きいとわたしは断言する。


一般人がリラックスウエアでトランプ占いに興じようがかっこよくもなんともないがオスカル様はチガウ。
「なにを占っていらっしゃるのかしら。
ああその細く長い指が操るトランプになりたい」とファンはため息をもらし

オスカル様は何をやってもステキなのっ!可愛いのっ!
愛しいのっ!
と叫んで宇宙の果てまで飛んで行くのだ。

だからオスカル役を知り尽くしていてこれまでは行間でしかなかった部分を見事に体現できる人が求められるわけだ。


さあキャストに行ってみましょう。


すずみんオスカル最高!

オフのオスカル様がそこにいましたよ。
フリルブラウスに紺のキュロット白タイツ王子さまオスカルがくつろいでいましたよ。



マーガレットコミックス第四巻「黒い騎士をとらえろ」の1シーンがそのまんま舞台になったかのよう。
勇ましさも強さもないけれど、宮廷の貴婦人たちも殿方たちもパリ市民の女もこぞって憧れる麗しい人がそこにいましたよ。

軍人の顔じゃなくて全身から綺麗に力が抜けていて凛々しくはないけれど
トランプをもてあそびながらベルナールをからかう顔はすっかりこどもだけど
すずみんオスカル様は何をなさっていてもかっこいい。

すずみん、すごい。
もともとこの人は気品があるけれど外伝オスカルに当たって男役の力強さと品の良さを上手くバランス取っている。

オスカル様ってわたしは品を失ったら最後だと思っているので、
いかにも大貴族の家に生まれて一流の調度品に囲まれて育ったオスカルがそこにいたのは本当に嬉しい。

ちゃめっけたっぷりなところもいい。
凛とした凛々しさがくしゃ!っと崩れるところが可愛いの。
脚本のおかげで、アンドレの思慕に気付きもしないあたりは天然なんだけど原作でも黒い騎士あたりはまだ何も気付いていませんでしたっけ。

天然お嬢様だからこそアンドレも命がけで守ろうとするし、
ばあやだっていくつになっても「お嬢様」なのだろうし…


出番が前半で終わってしまいラストは紗幕の後ろに浮かび上がるだけなんだけど、
オスカルの存在感が最後まで大きいのはすずみんオスカルの勝利だ。
「オスカルの遺志」をベルナールとアランが交互に連発した成果ではない。
バスティーユでロザリーが「オスカルのサーベル」を抱えて走りこんだときは大泣きでしたっけ。

すずみんオスカルは異色の出来です。
原作ファンが劇画の中で胸ときめかせた「何をやっても素敵なオスカル様」がそこにたしかにいました。




ベルサイユのばらアラン編のいいところは
物語のクライマックスに必ず主役とヒロインがいるところだ。
ベルナールは視点だけど、その中心にいるのは彼で全ての物語は彼のために存在する。

ちょっと長すぎない?という貴婦人たちの大騒ぎやこどもたちのくだりは
主役たちの衣装替えの時間稼ぎだし
大人数に見せ場を持たせたと思えば腹も立たない。

雪ジェロ様ベルと花アランベルでは視覚的に一番盛り上るバスティーユ攻撃の中心に主役がいなかった。
主役以外の人が先頭を切って踊りそれがまたかっこいいものだから
「どこがよかった?」「ロベスピエールが素敵よ」「市民の男まっつ!」
という答えが返ってきてしまう。
もちろん主役はジェローデルとアランだけど感覚に訴える場面はインパクトが違う。

今回の最高潮ポイントはバスティーユとラストシーンだ。
ここへ至る流れも不自然さがない。むしろそこにベルナールとロザリーが存在するために全ての場面があると言える。

主役のための物語が正しく描かれているってこんなに力があるものなんだ

…って当たり前のことに納得している自分が悲しい。

ベルナールとロザリーは原作でも書き込みが深いキャラクターだ。
それぞれの誕生秘話が物語りに大きな影響を及ぼすぐらいで、
アランにしろジェローデルにしろ、書き込み度はとうてい適いっこない。

ベルナールとロザリーの生い立ち=当時の社会情勢だ。
彼らを追えば追うほど物語の背景が立体化され、その人生はそのまま歴史の語り部となる。
もともとスピンオフには有利なところに彼らはいる。

魅力的な主要キャラの人生に大きな影響を及ぼす位置にいるところも大きい。

オスカルの人生の転機はベルナールがもたらす。
と同時にベルナール自身もオスカルから大きな影響を受ける。
とびきり魅力的なキャラクターとガチンコ対決するのだから「ベルナールの物語」
だけを切り取ったとしてもスピンオフとしては十分魅力的になるのだ。


こうして主役のために正しく描かれた脚本
とうこちゃん&あすかちゃんという宝塚きっての演技者がさらに上質な芝居に仕上げたのだから面白くないはずがない!

いや~恐れ入りました。やっぱりすごいとうあすコンビ!

ベルナールはペンの才能もあり、
複雑な生い立ちから生まれた貴族階級への憎悪をばねにしたたかに生きる男だ。
危険な香りを漂わせる世直し義賊、女が惚れないはずはない。
寂しがりやで、素直じゃなくて…やっぱり女が惚れないはずはない。

トウコちゃんベルナールはインテリジェンスと野性味を見事に融合させた色男でした!
あらくれ男にふさわしい眼光の鋭さと、機敏な身のこなしに生活臭と半分流れている貴族の血を感じる。
本当にこの人、自分という男役を知り尽くしているんだろうなー。
どこを生かしてどこをカバーするという計算がパン!とハマるんだろう。

ロザリーにひかれる流れも自然。
「ついてくるな!」と言いながら心臓パクパク、どうやって突き放したらいいんだかそばに置きたいんだか自分でもよくわからなくなっているところが可愛い。

やっぱりいいですね。主役カップルの馴れ初めから幸せな未来まで丁寧に描かれているのは。

ロザリーに出会うことで頑なだった気持ちがほぐれて、
オスカルの話に耳を傾ける気になるんですよね。
正論を正論と受け止め、先走って突っ走っていた自分を冷静に見直すきっかけはオスカルだったけれど、
人を愛することで自分を縛っていた鎖を少し緩めることを知った。

人間が愛を知ることで自分を成長させるということ。
その姿が愛しくて正しいからこそ、ラストの二人の再出発にもう一度わたしは涙した。
だれかを許し、自分の耳を自分で塞いでいなかったか振り返ることこそ、
神が人間に求めておられる「愛」なのじゃないかしら。

ちょっと哲学に走ってしまいましたが、ベルナールの成長が嬉しかったと言いたいの。


ついでに最後についてもうひとつ書いておこう。
紗幕の向こうにベルばら4主役が浮かび上がるのはいい。


だけどどうしてアントワネットさま=まひろくん?!
ことこととか、せあらちゃんとか、いっそゆずみさんでも。
やりようがあったと思うのですよ。


なにゆえ最後に「間違いさがし」をさせる(涙笑い)?!
外伝あらすじを追いながら、思うのはただひとつ。
雪、花に申し訳ないほど

星組外伝は脚本が破綻していない!

そのことが嬉しい。嬉しくて嬉しくて仕方がありません。

わたしは雪組を見ていません。チケットが取れませんでした。
無理をして高値で買う気力はなく、公演を見た人から「あらすじ」を聞いて愕然として終わりました。

花組は一回観ました。
「ヒロインが亡霊で無理やり主人公の相手役になっている」
というタカラヅカ事情にそれこそ怨霊の差し金と天を仰ぎました。
何がなんでも主演娘役をヒロインにしようとするからひずみが生まれ、
本来もっと面白くなるはずの話が破綻していました。
脚本の破綻を越えて、キャストが「見せ場」を大いに盛り上げてくれた結果、
「花組アランベルをこんな楽しいもの観たことがない」
と書きました。

その言葉に嘘はありませんが、星組ベルナールベルは脚本にほころびはあれど破綻していない、さらにスピンオフならではの醍醐味を堪能させてくれたのです。

やっぱりこっちがいい。
ああ、羨ましい星組さん。

外伝三部作は最後にして初めてまともな脚本でした。


詳しいことはおいおい書いてみたいのですが、
大阪往復近鉄「特急利用なし」で長時間揺られたのが体に来ています。
今は、

星組ベルナール編はなかなかいい!
とうこちゃんあすかちゃん最高。
とくにあすかちゃん、可愛い!ウチにもほしい(笑顔)。

昭和以来初めて。
こういうオスカル様が観たかったの!すずみん万歳!

とだけ書いておきます。




梅田芸術劇場の初日の二回目を観てきた。
帰りの道すがらあらすじを書いてみたのでアップしておきます。

プロローグのあと。

コンティ太公妃の舞踏会で貴婦人たちの宝石が盗まれます。
おんなのいのちの宝石類、
貴族の奥方たちは大慌て、恥も外聞もなく「アンタわたくしと踊っていたわねっ?!」
ダンスパートナーに詰め寄る始末。
エキサイトするうちに奥方の怒りは、警備責任者近衛隊長オスカルに向けられます。
マントを翻して美しくひたすら美しく登場したオスカル隊長は言い訳もせず批難を受け止め

「犯人は黒い騎士に間違いありません!かならずこのオスカルが捕まえてみせます」
と公約宣言。
凛々しいったらかっこよいったらありません、なんてステキ。

ところがオスカルの決意をあっけなく、ポキンと折ってしまうのが舞踏会の主催者のコンティ太公妃。
オスカルの大ファンのコンティ様は

「オスカルを苛めるなんてアタクシが許しません」

勘違いをして乗り出してきたのです。
いや別に警備の不備は不備だし犯人逮捕を約束しているんだし…という理屈はミーハー奥様には伝わりません。
あろうことか、
「宝石など最初からなかったのです!」
「誰も何も盗まれてはおりません!」

オスカルはただの美しい馬鹿なお人形なのでしょうか…
悪いヒトではないけど奥様ちょっと違う。
奥様方はすごすごと引き下がりあとに残されたオスカルはいったい。


という小さな疑問はこの際忘れて物語りは進みます。どっこいしょ。


オスカルは気を取り直して兵士たちに命じます。
「黒い騎士をとらえるぞ!」

一方舞踏会にはオスカルの侍僕片目に大怪我を折ったアンドレ=眼帯つきも来ています。
アンドレは兵士じゃありませんから、カーテン後ろに控えていたのです。
兵士たちはアンドレの目をいたわり口々に黒い騎士め!ののしります。
だって兵士たちの憧れの君、オスカル隊長の屋敷も先週黒い騎士の襲撃を受けたばかり。
宝石や金目のもののほか武器まで盗んで行ったのです。
いったいどれほどの運搬能力があるんだか、黒い騎士ってオソロシイ。
おまけにアンドレの片目をつぶして逃げたって何て奴だ、この大悪党!

しかし冷静なアンドレは兵士たちに「一致協力して黒い騎士を捉えましょう」
うまくまとめてオスカルの元へ促します。

一方「逮捕宣言」に燃えるオスカル。
とそこへ、やってきたのが ハロウィンは終わったばかりですが?と問いかけたくなるような仮装男が。
大仰な仮面にどこかのノルウェー人を彷彿とする大きなマントがうさんくさく
「俺を疑ってくれ」
と言わんばかり。

「なんだか騒々しいな。警備はどうなっているんだね」
貴婦人に負けずオスカルをからかう姿がますます怪しい。
兵士たちの顔に緊張が走るのは「疑ってほしいのかオマエ」と問いかけているのです。

ところがクール・ビューティのブロンドの髪ひるがえしのオスカル隊長は男に負けずうさんくさい笑いを披露、
「ふっふっふ。このオスカルはだませないぞ!黒い騎士。ついに捕らえたぞ」

オスカルはバイオリンの愛好者です。だからとっても耳がいい。
ジャルジェ家に現れた男の顔は見ていませんが声だけははっきりと記憶していたのです。
おそるべし絶体音階、男はあっけに取られているうちにつかまってしまいます…


捕らえた男は、やはり黒い騎士でした。金品のみならず武器まで盗む男にオスカルは少なからず興味を持っています。
「盗人にも五分の魂だ」
と盗賊を繰り返す理由を問い詰めると、男は新聞記者である素性を明かし、腐敗しきったフランス社会を根本から作り変えるために盗みを働いた理由を語ります。

その腐敗した社会の支配者層にいる自分にオスカルは激しく動揺、抵抗を試みますが
「民衆が毎日の食べ物にも事欠き飢えている現実をお前たちは恥ずかしくないのか」
オスカルは返す言葉がありません。
男の名はベルナール・シャトレ。その鋭い眼差しには貧しい民衆の怒りと憎悪が宿っていたのです。

物語はここから一挙にテンポよく進みます。
場所がコンティ様のお屋敷という違和感はおいといて、ベルナールの言葉に心を抉られたオスカルはこの男を宮廷に突き出すことを断念します。
父上ジャルジェ将軍も通報を受け
「でかした!」
と娘の手柄を褒め称えますが、
「人違いでございます」
オスカルは頑として黒い騎士捕縛は誤報だったと拒絶、彼を屋敷に連れて帰るのです。

ジャルジェ家に戻るとアンドレの祖母でオスカルの身の回りの世話をしているばあやがおろおろ、大慌て。
この家に仕えるロザリーは天真爛漫素直な良い小間使いですが、
「妖しい男」の出現に戸惑いながらも、自分を呼ぶオスカルの声に急ぎます。

「傷の手当てをしてやってくれ」
オスカルに紹介された男の顔を見たとたん、ロザリーも、そして彼もびっくり。
二人は10年以上前パリの下町で出会っていたのです。
貴族の場所に母をひき殺され途方に暮れ泣いていたロザリーを親身になって助けてくれたのがベルナールという衝撃の出会い。
オスカルは偶然を喜び、
「それならお前がこの男の世話をしなさい。一瞬たりとも目を離してはだめだよ」
何気ないこの一言がロザリーの従属モードのスイッチを入れてしまいましたからさあ大変!


「おい、こいつなんとかしてくれ!」
数日後、ベルナールはオスカルに助けを求めます。
「どこへ行ってもついてくる、寝室まで一緒なんだぞっ」

…ロザリー、あなたって子は!

怒るのは見当違い。
ロザリーは「目を離すな」に従っただけです。
「やめい」
といわない限り続ける根性の持ち主ですから仕方がありません。ロザリーだって大変です、
ベルナールのいびきと寝言ったら。睡眠不足は自分も同じだとオスカルにばらしてしまう可愛らしさにオスカルは苦笑い。

年頃の男女が寝室一緒という危ない状況を作ったのは自分ですがそこはさらりとかっよく流すのがオスカル様。
「ロザリーもういいよ」

ああやれやれ。ロザリー嬉々として退散します。
ベルナールはどこどなく寂しそう。

目ざとく見つけたオスカルですが、話は本題に。
「盗みはやめろ」
オスカルは彼の間違いを諭すのです。

「貴族が俺たちから吸い上げたものを取り戻しているだけだ」
ベルナールは持論を展開しますが盗みは盗み、世の中を変えるには力が全てではない。
理想主義と言えますが、正論です。

「盗んだ銃の支払いは武器庫あてにしてくれ。いいな。商談成立。ダイヤのエースだ!」
かっこよくトランプを投げるオスカルにベルナールは二の句がつげません。

こうしているうちにベルナールの心にも変化が訪れます。

毎日傷の手当をしてくれるロザリーにベルナールは自分の生い立ちを語ります。
実の父が貴族であったこと。その愛人にされた平民の母が父の裏切りによりセーヌ川に身を投げたこと。
母の手に抱きかかえられていたベルナールだけが助かり、母は帰らぬ人になったこと…

貴族なんて殺してやる!
母の惨死に泣き叫んでいた少女が今美しく成長して精一杯生きている姿に、
ベルナールはひそかにひかれていました。
「お前はママンに似ている…」
ベルナールは愛を告白、ロザリーは戸惑いながらも受け入れます。


相変わらずオスカルの説得に首を立てに振ろうとはしないベルナールですが、
「下町を案内してくれ」
というオスカルの言葉には素直に従います。

「オスカルがパリへ行った?近衛連隊長の軍服のままでかっ」
あまりの無謀にオスカルの父ジャルジェ将軍はびっくり仰天、アンドレとばあやに雷を落とします。
男として育て順調に軍隊で出世しているとはいえ可愛い娘です。
「あんな危ないとこrへ!どうしてお前たち止めなかったんだ」
おろおろ、おろおろ、じたばた、じたばた。
八時の門限を過ぎても帰らないのを心配するかのような狼狽ぶりに、ばあやもアンドレも身を小さくするばかりです。

「今夜は眠れそうにないな…」
おろおろにも疲れて将軍が立ち去ったそのとき、
「ただいま」
オスカルはこっそり帰宅します。

「よくぞご無事で!」
ばあやは泣きださんばかり。ごめんごめんと謝るオスカル、心配はジャルジェ将軍以上だったアンドレ。
「行ってよかった」
オスカルは嬉しそうです。ああもうまったく。

そしてオスカルはベルナールを呼び、感謝すると共に改めて盗みをやめろと迫ります。
「民衆に武器」をという思いはわかるが、別の方法を考えろ。
それに、盗賊のところに大事なロザリーを嫁にはやれない。

「………」
ベルナール呆然。
「あのねロザリー。マザーコンプレックスのベルナール・シャトレはぜひお前の優しい愛が必要なのだよ。一緒に行ってやるか?ん?」
原作おなじみの、あの茶目っけたっぷりのオスカル様の名台詞が炸裂!
すずみんオスカルはこの上なく品よく美しく二人を祝福
バリの町へと送り出すのでした。


パリへ戻ったベルナールには新聞記者として、また革命の闘士としての仕事が待っていました。
指導者ロベスピエールと共に人々を先導、物語は一挙にバスティーユ攻撃へ!

武器を手に燃える炎の中戦う民衆の戦闘にはベルナールがいました。
民衆が勝利を収めたそのとき、ロザリーはオスカルのサーベルを抱えて走りこみました。
ベルナールを見上げる瞳には涙が溢れます。
(オスカル!)
ベルナールはオスカルの戦死を悟ります。

月日は流れて10年後。
パリの下町は革命を経てなおも飢えていました。
革命により貴族社会は崩壊しましたが、国内は混乱しそれに乗じて侵攻してきた外国勢力との戦いの末、フランスは再び窮地に陥っていました。
戦争で生まれた孤児たちを養っていたのは、片腕の将軍アランです。
彼はオスカルの部下でしたが、いまや将軍閣下と呼ばれる偉い人。
フランスの指導者ナポレオンにも仕える実力者ですが、アランはナポレオンの危険性を読み取りひそかに暗殺計画を練っていました。
アランの執務室にやってきたのはベルナールとロザリー。

ベルナールはナポレオンの皇帝即位に断固反対、アランの本意を確かめに来たのです。
あの革命で多くの人の命が失われ、恩人オスカルやアンドレも逝ってしまったことをベルナールが語ると、
アランも負けずにオスカルへの永遠の思いを語ります。

オスカルの存命中、アランは一度としてその姿を見せてはいません。
しいちゃんがアンドレと二役だという理由は問題外ですし、
オスカルは近衛隊から衛兵隊に転属したわけでもない
アランの「ア」の字にかすりもしなかったんですが、
二人の会話からなんとなくオスカルはアランの上司でベルナールと二人「オスカルの遺志」を後世に伝えるのが生きがいだということがインプットされます。

二人はいざ本題へ。
「ナポレオン暗殺は俺がやる」
「俺にも協力させてくれ、頼むアラン!」
「わかった」

夫がナポレオン暗殺に加担?!
ロザリー呆然、しかしベルナールは本気です。
「やめてください」
「それは十分話し合ったことだろう!」
仲の良い夫婦もここはお互い一歩も引きません。ロザリーはベルナールの思いがわかるだけに辛いのですが止めなければならない理由が…。

数日後、パリの下町で家路を急ぐロザリーのところへアランの孤児たちがやってきます。
それは暗殺計画決行日の知らせでした。
「明日の朝6時」。
ベルナールに伝えると約束したロザリーですがどうしても言えません。
「あなた…ごめんなさい…」

呆然と佇むロザリーをベルナールが見つけ問いただします。
「暗殺の決行日が決まったそうです」
「なに。それはいつだ!」
「明後日。朝6時」。

そして運命の翌日。
ベルナールのもとにアランの暗殺失敗、そして処刑の知らせが。
「なぜ?明日ではなかったのか」
「あなたごめんなさい…」
ロザリーは打ち明け、ベルナールは怒髪天を突く勢いで思わず手をあげてしまいます。
「何をしてくれたんだっ!」
妻が自分を心配してくれる気持ちはわかりますが、たったひとりで殺されたアランがどんな気持ちだったかと思うとベルナールはやり切れません。
だけどロザリーにはもうひとつ大きな理由がありました。

「俺たちの子が?本当に?」
なんと結婚10年はじめての子がロザリーのお腹に宿ったというのです。
こどものためにも生きてほしかった。
生きて世の中を変えてほしい、オスカル様の意思も父親からこどもに伝えてほしい。
涙ながらに訴えるロザリーにベルナールの心から怒りは消えていきます。

そこへまたもやかけこむこどもたち。
アランはこんなこともあろうかとベルナールに別れの手紙を残していたのです。
「君には筆の力がある。どうかフランスを正しい道に導いてくれ。そしてオスカルの遺志を語り伝えてくれ」
アランはベルナールを道づれにするつもりはなかったのです。

「わたしたちは生かされたのです」
ロザリーの言葉に頷くベルナール。手を取り合う二人の後ろに、オスカル、アンドレ、そしてここまで一度もその名が出なかったフェルゼンとアントワネット様の姿が浮かび上がるのでした。

幕。

ショーの感想がまったく書けないほどにお芝居が楽しかった花組全国ツアー。
「ベルサイユのばらアラン編」の続きです。

アランにときめいてしまったオスカルが彼を追って退場したあと。
残された壮くんアンドレはひたすら自分の世界で楽しそうでした。

愛しいオスカルに振られたことに気付きもせず、
アランに「片思いしている自分の姿」を投影して、
「オスカル、オスカル。俺のオスカルーーーーーーっ」
誰に向かって語っているんだかわかりません。
客席に向けてじゃないでしょう、あれは原作の「ふきだし」に入っていない部分。
「台詞」とナレーションをいっしょクタに叫ばなければいけないのが大変。

というか、壮ドレそんなこた、気にしちゃいない?

えんえんえんえんえんえんえんえん独演会。
いつまで続くんだこれ。
さっきも同じことやっていたような気がする。

わかった君がオスカルを思っているのはわかった。
すぐ近くにいて手の届かないヒトを思う切なさはわかる、
だけど気がつけ。

オスカルはアランにときめいて後を追ったのだよ。

どれほど「このアンドレと同じ世界にいない自分」に歯がゆくなったことだろう。
誰かがやめい!とつっこみを入れないかぎり永遠に叫び続けるんだろうな、彼。

謎の通行人ジェローデルの「プロポーズ宣言」のおりも同じことやってたのを思い出すとさらに辛い。
わざと突っ込みますが、ジェロ様プロポーズとアラン無理やりキスをひと括りにできないぞ。
ふたつまとめて「今日のできごと」じゃないから。
それなりに「月日」は経っているんだわ…

っていくら言ってもこの人聴く耳持たないだろうなあ、それが壮ドレの素晴らしさ。

わたしは彼のアンドレをはじめて観ました。
噂には聞いていたが、これほど植田歌舞伎を楽しそうに生き生きと演じるタカラジェンヌは近年見たことがない。
丹精な美青年でスーツにトレンチコートなんていう現代ものが似合いそうで、
台詞回しもよく通って滑舌も悪くない、間違っても時代がかったコスチュームもの演技が似合うようには見えないのに、
どうしたことか、アンドレを演じている壮くんはかつて観た事がないぐらい楽しそうだ。

これでも雪組時代のカワイイ彼を観ているんだぞーわたし。
「愛燃える」の新人公演主役だって東宝で観ている。
ずいぶん成長したってことか、それにしてもタカラヅカの忠臣蔵で植田歌舞伎の世界にはまってる。
何より本人が俺のアンドレ最高と言わんばかりに自分の世界に酔いしれているのがすごい。
ベルばら歌舞伎は今の時代には相当難しいんですよ。
初演から時代がたつにつれ難易度が増す、それでもキャスティングされた役者は好き嫌い関係なくその世界で生き観客を誘わなければならない。

壮ドレの場合ひとりでその世界に行ってしまって観客置き去りの感なきにしもあらずだが
自分と自分の演じるアンドレを何の迷いもなく全面肯定していて楽しそうだ。

そういうヒトをして楽しいのは貴方だけなどとなじるのは人情なさ過ぎってモンだろう。
とにかく観ていて楽しい。
そんなに楽しそうなアナタを観ているわたしは幸せという構図。

ここにポン!と放り込まれたわたしは脱水機に押し込められ
「うわーーーーーーーーーーーーっ」
と大声を上げながら喜びの雄たけびを上げている洗濯物状態。

壮くん、最高!ありがとう、こんな楽しいものを見せてくれて生きててよかった(感涙)。


壮ドレをして「おかしい」というのは賛辞だ。
作品の矛盾や綻びといった構造上のマイナスポイントを忘れさせ、
オスカルがアンドレを愛していないという二次創作をふっ飛ばし、
宇宙の果てまでおかしーといいながら飛んで行けたのは壮くんのおかげです。

何なのだろう、あの面白さは。
ぜひとも彼で懐かしの柴田作品「真紅なる海に祈りを」のイノバーバス(大浦みずきさん)が観たい。
あれも壮大なる大見得歌舞伎だ。満点の星空の元、主君アントニウスを思って壮絶な自害を遂げるイノバーバスを壮くんで観たいー。
大浦さんイノバーバスは満点の星が一斉に降ってくる様な爽快さがあったが、
壮くんだったらどう料理してくれることか考えただけでもニマニマしてしまう。


アラン編はその芸質に似たものがある男役二人まとランと壮ドレのお得意芝居を楽しめばいいのであって、
宇宙の果てまで飛んでいってしまった脚本演出を嘆くものじゃない。
マイナスを数えるよりプラスを見極めるほうが精神衛生上ずっと良いもの。うん。
つか先生が面白い。

Takarazuka スカイステージトークスペシャル「銀ちゃんの恋」の話だ。


つかこうへい。
小説「蒲田行進曲」の原作者で、舞台版の原作者でもある。

石田先生とはどうやら「素面で会話」がお初らしい。
「いっぱいやりながら(演劇論を?)交わす」のが石田×つかとこと。

おじさんふたりの本音を笑いながら聞く。
まあこれぐらいの年代のおじさん2人だ。
腹も立たない。

いえ面白いのはお酒ネタではなくて
最後の最後まで石田先生に「質問に答えてもらえなかった」ことです。

初演をごらんになっているようで、
会議から土方登場の演出を面白がっていらっしゃる。

意外性を賞賛するのではなく、つか先生トークは「驚いた」を強調している。
純粋なオトナコドモみたいな方だなー。

「おまえ、勝手やれ。おれ観ない」は観劇しないじゃなくて、
ヅカ版蒲田進曲に一切口を出さないという意味だろう。

そんな純粋オトナコドモみたいな彼が30分に編集された時間のなかで
ただひとつ「聞きたかった」のは
このいやな女(大空祐飛)を使って何をやりたかっただ。

スカイステージで上演中にこの番組が放映されなかった理由はこれ?
だとしたらずるいなー。
だって舞台でもその答えは出ていないもの。


大空オタは再演「銀ちゃんの恋」を

これまでにないセクシーさとか
彼が宝塚の男役である意味とか

想定外の発見をして美味しく鑑賞させてもらったのだけど、
こと「大空で何を出したかったのか」は今もってわからない。
大空の新しい面を引き出し、共演者たちの成長に一役買ったのは認める。
だけどそれと「彼女になぜやらせるのか」という原始的な疑問に石田演出は応えていないような気がする。

大空銀ちゃん開幕の前に撮られたこの番組、
つか先生のしつこく食い下がる姿は子犬がおかあさん犬のあとを一生懸命追いかけているかのような無邪気さがある。
これって外部のつか先生みたいなタイプだからオンエア前提のカメラの前でできるんだろうな。
実際ごらんになったかどうかは知らないが、
果たして「これだったのか」という発見があったのかしら。

大空銀ちゃんにはまだまだ変貌できるのびしろがあった。
外部なら再演を繰り返すことで「熟成」を観ることができるが宝塚はそうはいかない。
花の命は短い。「繰り返す」ことは不可能だ。
ギラギラした男の生理でねじ伏せるような銀ちゃんもあると思うし
今回の再演からさらにひとつはみ出した演出もありだったろう。
つか先生の「どうして?」の繰り返しがおかしいと共に
二度とこないであろう大空銀ちゃんの再演が寂しくもある。

アメリカ大統領選投票が始まった。
有権者の皆さんの一票に世界経済がかかっていると言っても過言ではない。
新大統領がすべてをひとりで良い方向へ持っていってくれるわけではないが
「方向」が大事だ。
一票の向こうに星条旗のみならず地球規模の未来がある。
日本経済の低迷と重ねて他国の一大事とは受け取れない。

趣味のひとつ観劇ができるのも、経済基盤を持っているからこそ。
そして理解のある環境にあることだ。
自分で、「これだけしか行かない」と決めて観劇しているからストレスにはならないが
一回一回の観劇にもっと感謝して、「感動できる喜び」をかみしめていいのかもしれない。

さて。

今日はたくさんのニュースが飛び交った。
観劇関連ではもちろん遠野あすか退団のお知らせ。

覚悟していたがいざ突きつけられると身が引き締まる思いがする。
偉大なコンビが揃って卒業するのはそれだけの損失があるということ。
トウコちゃんという懐の大きい主演男役さんと巡り合って、
実力も個性も発揮できたことはあすかちゃんにとっても、わたしたち観客にとっても幸せだった。
彼女たちの未来に幸多かれと思う、
同時に第二のトウコ・あすかコンビのように観て楽しく聴いて感動、巡り合えた運命に感謝できるようなコンビがどんどん生まれてほしい。

あすかちゃんお疲れさま。
卒業までお体を大切に、タカラヅカを楽しんでくださいね。


今朝も早朝のスカイステージニュースをしっかり見た。
目当ては轟悠ディナーショー『 Fallin Love with Yu 』稽古場風景。

東京パレス・ホテルを無事終えて明日はいよいよホテル阪急インターナショナルで開催。
どちらも観にいけないのでせめて映像を楽しみに、正座して待ちました。

轟様がとんでもなく美しいのに「わたしいくつ違いだったっけ」
テレビの前でわざとらしく首を傾げて、
「まだかまだか」
首長くして待ったら映りましたよ、まっつ&一花ちゃん。

轟様、よくぞ二人を共演に選んでくださいました!
一年に一度は行われる轟悠ディナーショー、共演者チョイスはなかなか意表をついてくれるのがツボです。
男役さんオンリーかと思えば、初舞台踏んだばかりの若い方ばかりだったり。
それだけ「真ん中」に絶対損なわれない輝きがあるという自負だし、
共演者が受ける刺激は相当なものだと思う。

決してミラクルボイスではないけれど、轟さんの声は哀愁があって深い。
その「彼」が今回選んだのは花組がほこるベルベットボイスの男役まっつとコケティッシュボイスの一花ちゃん。

まっつの声は低域に艶がある。ビブラートが意外にセクシーなのも美味しいと思う。
一花ちゃんの高音はただ綺麗なだけじゃなくコケティッシュな力がある。
小柄で折れそうに細い体から振り絞られるソプラノは綺麗に天に抜ける。

男役ひとりと娘役ひとり、コーラス役としても共演者としても責任重大だろう。
早く「本番映像」が見たいけど、来年のいつになるだろう。

三人の織り成す世界に浸れたらなーああ遠隔地と貧乏が辛い。

まっつ&一花のデュエットダンス?も一瞬だけ映りました。
一花ちゃんが小柄なのはわかるけど、まっつも、本当にもう、折れそうに細い。
よく娘役をリフトできるなーと感動する。
この間なんてれみちゃんリフトしていましたっけ。
タイミングとバランスが命と言ってもリフトは男役さんにとって大仕事。
見ているこちらがはらはらするようなリフトもたまに見かけるが、
まっつ&一花ちゃんのデュエットはお互いを信頼しきって任せあっている感が頼もしい。

全国ツアーでも可愛く小さくがっちり組んで踊ったタンゴがとびきりステキだった。

だけどここにプラチナの輝きを放つ轟さんが加わることでまた絶妙なトライアングルができると勝手に妄想。
可愛く踊るまっつ&一花に割って入るいけない美青年Yu、女を奪い返すダンサーまっつ、奪われまいとガードしつついつのまにかまっつをリードして踊る美青年Yu。

コントならぬウェルメイドなコメディ目指して踊ってくれないかな。
いやYuをリードするまっつというもありです。
彫りの深い麗しいお顔だちですから見詰め合っても絵になるかと。
ヅカファンに限らず日本人は略称が好きだ。
フルネームを言う時間もないほど忙しいのかというとそうではなく、
省略する対象に自分なりの執着を示しているんだと思う。
好きも嫌いも執着の証。
それを否定はしないが、時に「その略称」に首をかしげることがある。

つい最近で言えば銀恋=銀ちゃんの恋だ。

ある一定以上の世代にとって「銀恋」は某有名デュエット曲を言うのよ~


歌詞引用しなくてもわかる方にはわかる名曲だと言い切り次へ。
オトナの男と女がほろ酔い気分で歌うのが「銀恋」。
再演「銀ちゃんの恋」評をして「初演の銀恋は…」とやられると
「初演のときあなたはいくつだったの」
余計なつっこみをしたくなる悲しいわたしの実年齢。

「銀恋」とは「銀座の恋の物語」の略称です(昔から)。

さすがに劇中で本家本元「銀恋」が歌われることはありませんでしたが
舞台鑑賞中このフレーズをやたら思い起こさせてくれたのが女秘書さあや。

オープニングから絶好調で舞台をひっぱる女傑、どこの会社にもいそうでいない面白冷徹キャリアウーマン。
本家本元の時代では「オールドミス」と呼ばれわたしの新入社員時期には「お局様」と恐れられたであろう年齢行ってる・男っけなし・仕事まっしぐらの悲しいベテラン女社員という位置づけ。

映画会社の専務秘書といえば聞こえはいいけれど、
頼りない日和見主義の上司のお尻を叩き、口ばっかりで中身のない俳優たちを叱り飛ばし、
年々衰えるボディに銀ちゃんも愛飲のユンケルだかリポDだかを飲んでは叱咤激励していそうな元気なお姉ちゃん。

自分で書いていてイヤになりますが。


姐御肌で何事にも一直線なのが玉に瑕、
それゆえの衝突も多くて傷だらけの人生送ってそうなところが何とも愛しい。

「あの時代」に生きているのが彼女の悲劇で、
今の時代なら結構社内にファンも多いはず。
お局様=やっかいな女傑という図式は古いわね、ホホホ。


なかなかああいうタイプは頼りになるんだぞ?
ともしわたしが東洋映画社員だったら見る目のない男どもにオススメするんだけど。
あ、その前に自分の世話しなく…以下略。

まあ十中八九さあや秘書の可愛さをわかる男は劇中には皆無だろうなーというところが見え見え。


観客側としては、これほど見ていて気持ちのいいキャラクターはいません。
出てくるだけで場をさらってくれる。
冒頭の「野郎ども。やっちまいな!」からスコーンとヒット飛ばす。

さあやちゃんの声はよく通り抑揚のつけかたも滑らか。
大仰な台詞回しもぎりぎりのところで上手ーくひっくり返して「笑い」に繋げちゃう。
彩音ちゃんと同期で、歌、芝居とも安定した実力の持ち主さん。
わたしが彼女を意識したのは大空さん花組初のディナーショー「SORA」の司会進行役「さあや」。


美青年SORAのマネージャーとしてビシバシ「彼」を売り出すべくあの手この手、
大空さんとの息もぴったりでともすれば「曲の紹介係」で終わりがちな役を見事「儲け役」にしてのけた女優。
もっと彼女の活躍を見たいなーと思っていただけに女秘書の怪演は嬉しかった。

女から見ると可愛くて仕方がないんですよね、ああいうタイプ。
銀ちゃんたちとは別出動、「ししとう」では後輩の男性社員を無理やりデュエットにさそってマイク握り締めて。
嫌がる後輩君を無理やり連れ戻し、キスしまくり、汽車ぽっぽごっこにつき合わせてまた嫌がれる。
仕事のストレスすごいんだろうなー家に戻っても寂しいんだろうなーって。
それがこと仕事になると、
「自分が何を求められているのか」
を第一に考え嫌われても任務を遂行する能力の持ち主。

頑張りすぎて言わなくてもいいことまで言うから男どもには嫌われちゃう。
そんな自分が情けなくてダイキライ!
容姿にもコンプレックスたっぷり。

だから言いたい。
「コンタクトにしたらいいのにー」
ぐらい言ってあげなさいよ、橘くん。

タイトルと内容に面白いズレがある「銀ちゃんの恋」、
わたしは素直に銀ちゃんの立場上の恋人は小夏で実質上の恋人はヤスだと言い切りますが、
「橘の恋」を書かせたら絶対さあや秘書は外せないと思っている。

だって二人のどつき合い、何かほのぼのしていませんでしたか。
2期上の長身めおちゃん相手に一歩も引かないさあやちゃんの度胸の良さもさることながら
日を追うごとに橘くん楽しそうに見えたんですが。


さあや秘書のすぐムキになるところを橘はしっかり気に入っているという目で見始めるとあのシーンは百倍面白い。
おそらく彼よりはしっかり年上姉さんだから恋愛対象にはしない。
しないけれど気になる。

おせっかいなともよ専務が「実はこういう青年がいるんだけどね」なんて見合い話なんぞ持ってきたらさあ大変、
橘くんやたら専務のところに顔を出す、気になって気になって仕方がないから。
そのうち「ししとう」にも顔出して、仕事の憂さ晴らししてるさあや秘書をさりげなくガード。

小夏とヤスと三角バトルしながら子分たちと飲んでる銀ちゃんに
「おめーも素直じゃねーなー」
見抜かれるの、これが。

いや、スター橘にアレはいかん、俺にはもっとふさわしい女がいる!
とかなんとか橘くん大慌てで。

ああ楽しい。

何を言いたいかというとさあや秘書と橘くんのどつきあいに「愛」が見えたと言う話。

あのシーンだけのDVD集があればいいのに。
<本編おまけ>で付かないかなー。
電話エントリーから開放されて初めて登録した宝塚友の会ネットサービス。
事前のID登録からぴあシステムと連動だから1エントリーごとに結果が来るんだろうなあと予想はしましたが、
幸い3エントリー中2当選だったからよかったものの、これがもし4落選だったらキツイと思う。
ご贔屓組はフルエントリーするものだし。

短縮された公演期間のなか、スケジュール調整が大変難しい。
だから3エントリーで、お正月か楽間際じゃないと無理だとかなり難しい注文で入れてみた。
思ったとおり楽はダメでお正月と楽間際に離れて当たった。
まあわたしのチケット運なんてこんなものさ、ふっ。

面白いことに1つは1階後ろの方の壁際席。
壁際好きなので無問題。青年館大ホールでも気にならない、寧ろ落ち着く。
もう1つはSS席に近いあたりのセンターブロック。
いい具合にアングルを変えて見られそう。

ネットエントリーは気軽でいい。期間内なら変更や取り消しも効く。
一度も間違って電話エントリーしたことはないが、
涙を飲んで誤エントリーチケットを受け取った話も聞く。
うっかりなど誰にでもあるし、電波状況の悪いエリアに住むわたしにはとってもいい改革だ。

2日付けで政府より平成18年秋の褒章受章者が発表された。芸能、学問、スポーツの分野でその功績が認められた人に贈られる紫綬褒章は今回43名、そのなかに俳優の西田敏行さんの名前があった。

今日の朝刊にも笑顔の写真とコメントが載っている。おめでたいニュースに心が温まるとともに、「面白い役者と言われたら嬉しい」という西田さんの言葉に目が釘付けになった。

舞台を評するときに、どんな形容詞が思わず口をついて出るかは千差万別だが西田さんがあげた「面白い」には広がりやふくらみがある。
「面白い」を具体的に挙げると、おかしい、楽しい、嬉しい、照れくさい、愛しい、さまざまな陽の要素がこれに当たる。
だが陽の要素ほど人によって志向が広いものはない。
泣きは万人共通だが笑いは千差万別、笑わせるほど難しいものはない。
「哲学的なふくらみを持つ」言葉として「面白い」を挙げる西田さんに役者魂の真髄を見た気がした。
おそらく彼は「面白い役者」として後世に名を残すだろう。
西田さん、おめでとうございます。

紙面から目を上げながらわたしが思い出したのは、「銀ちゃんの恋」の監督ことまりんさんだった。

花組歴が浅いわたしが書くのも僭越だが、言ってしまおう。
悠真 倫は花組一面白い役者だ。

「銀ちゃんの恋」の階段が拍子抜けするほどささやかなのは「ご披露」の瞬間誰の目にもいやおうなく入ってくる。
高まる音楽、トメさん以下銀ちゃんの子分たち一斉の「おおっ」のどよめきを申し訳ないけど苦笑いと共に受け止めざるを得ないあの瞬間、毎度毎度わかっているけど辛かった。

前ふりの「会社がうんと言わない」ほどの危険なお化け階段てどんだけー?息を呑んでその登場を期待したのになんとまあささやかな。
子分たちの健闘を認めはするが、同調はできない。
誰がどう見ても「スタントが逃げ出す」スケールはない。

だけどそれを「お約束だからわかったふりをしてください」に終わらせないのが監督まりんの力技。
しらけきった客席の空気をぐっと掴み、無理やり「お化け階段の恐ろしさ」を叩き込む。

東京からわざわざこのために呼んだプロのスタントマンが見ただけで逃げ帰り
誰もやろうとはしないその恐怖をまりん節が面白いほど愉快に体感させてくれる。



てっぺんから落ちたらさあ。死ぬんだよ。

運が良けりゃ助かるがそれでも半身不随なの。

わ・か・る?

これってそうなのよ…




顔は笑っているけど目が据わってる。語ってる。うずうずしてる。
「ここで何人死んだかアンタ、聞きたいわけ?」
そう詰め寄りたいんだこのヒト。怖いからソレやめてくださいっ

いつのまにか「真夏の怪談劇場」。
とどめはこれだ。

「誰か死んでくれるわけー?」

結構です!lコワイからその笑顔やめてくださいお願いっ



「気持ちだけお化け階段」がまりん節にかかると一瞬にして正真正銘のお化け階段に変貌する。
こんな芸当、そうそうできるもんじゃない。
舞台の上で一番自由に柔軟に呼吸をしていたのはまりんさんだろう。
すみ花ちゃんの天才とは別の意味で底知れぬ実力の持ち主。

おまけにこのヒト、「台詞回し」で「見た目も変幻自在」なんだ。
「ガキは、金かかんのよお」
の一言だけで生活臭ばっちり、その家には可愛くてやたらよく食べる子供がごろごろ、当たり前のようにちゃぶ台が見えたりする。
当然のように風呂上りはパンツ一丁
「アンタ、パジャマぐらい着なさいよ!」
金切り声を飛ばす奥さんがいて。

当然彼のお腹はメタボゾーンまっしぐら。
そこまで見える。


わたしには見えた。




演技だけでその人の背景まで透けて見える実力者。
それが「上手い」と言い切るにはとても惜しくて、やっぱりまりんさんの舞台には「面白い」こそふさわしい。
縦横無尽で自由自在に役をつくり、板の上に自在に「絵」を描く。
そんな彼に快感を覚える。

次は何を見せてくれるのだろうと。






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